西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2009年 03月 17日

ボビー・フィッシャーを探して(1993) ☆☆☆☆

f0009381_2214114.jpg監督:スティーヴン・ザイリアン
脚本:スティーヴン・ザイリアン
撮影:コンラッド・L・ホール
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:マックス・ポメランク
    ジョー・マンテーニャ
    ジョーン・アレン
    ベン・キングズレー

     *     *     *

この映画、幽霊はでききませんけど、実に『ヒカルの碁』な映画です。 どっちが卵でどっちが鶏あんでしょう??の世界です。
チェスの才能をもった男の子が、その筋の師匠さんに教わりながらも、反発しながらも、 子供の全米チェスチャンピオンになっていくお話。 またこの主人公の男の子のお目目がきらきらしてとってもいいんだ。 そしてほっぺたも、ふっくらしてて可愛い。 ただこの物語をみてて思うのは、やっぱり、ドラマで戦いを描く時には、 きちんと負けることを恐れて、それでも戦うスピリットを描けないとダメだなあってこと。 『ヒカルの碁』も、この『ボビー・フィッシャーを探して』もそれがきちんと描けてるから面 白い。
ただ、今の日本の映画産業、アニメ産業、漫画産業だと、それがかなり難しい状況になってきてるなあって思う。 昨日ケーブルで平成『ゴジラ』の何作目かをやってて、ちょっと見てたのですが、 “ああ、これ、日本人の描く『強さ』だなあ”って思ってしまった。 なんていうんだろう‥‥、日本人の描く『強さ』って<余裕>なんですよね。 『ドラゴンボール』にしても『座頭市』にしても『ゴジラ』にしても『犬夜叉』にしても 『ウルトラマン』にしても『仮面 ライダー』にしても、 自分が“負けるかも”って事を想定して戦っていない。 ホントに戦いの中に身をおく人には決して存在しえない偶像的『強さ』、 ホントの戦いに足を踏み込めない弱い人が憧れる『強さ』。
たぶん<余裕>=『強さ』としてマンガなりドラマを描く人って、そのひと自身が自分を弱者だと認識してるんだと思う。その弱者性がアニオタにはとっても共感持てるんだと思うな。

そこらじゅうで、よくも悪くも戦争してるアメリカ人とか、 あるいはいつ戦争になるかわからない北と向かい合ってる韓国人なんかに言わせると、きっと甘々な『強さ』にしか映らないんじゃないかなって思う。 実際アメリカンコミックスのヒーローみても、 そういう、余裕をもったヒーローっていないんだよね。 このへんは、実際に戦わないことを選んでる国民と、そうでない国民性の違いからくるヒーロー像の違いなんだろうなあって思う。
かといって、日本にはそういうヒーローがいなかったかというとそうでもなくて、 例えば梶原一騎の描いてたヒーローなんかは、そんな作家から与えられた絶対的力を背景に余裕ぶっこきファイトなんかしてなかった。 でも現代の日本の物語産業においては、 この<ホントの戦いに足を踏み込めない弱い人が憧れる『強さ』>でないと受け入れられない‥‥、 それしか受け入れられないから、作る側もそういうものを作ってしまう‥‥、 どんどん自分の『弱さ』をみとめず、知らん顔してなんとかそれを認識しないままに、 てきとうな刺激がほしい‥‥、 そういう痛みを感じず、 暇つぶしに適したものだをつくり出すような体制になってきてるなあと思う。 嘆いてしまう。ぼやいてしまう。
そんな中、この『ボビー・フィッシャーを探して』をみると心が洗われるような気になる。 負けたらみじめになるんだ。負けることは怖いことなんだ‥‥って、それを認識しつつ、 でも、もと極めたい!っておもって戦いに挑んで行く。 切なくて、勇気があって、強くって、いいんだ。 偶像の『強さ』じゃなくって、こういう ホントの『強さ』をみせてくれる映画がまだ作られてることはとっても素晴らしいことだ 。

by ssm2438 | 2009-03-17 21:59


<< 山の焚火(1985) ☆☆☆☆      屋根裏部屋の花たち(1987)... >>