西澤 晋 の 映画日記

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2009年 04月 12日

スター80(1983) ☆☆☆

f0009381_153979.jpg監督:ボブ・フォッシー
脚本:ボブ・フォッシー
    アーネスト・トンプソン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト
音楽:ラルフ・バーンズ

出演:マリエル・ヘミングウェイ
    エリック・ロバーツ
    クリフ・ロバートソン

     *     *     *

美しかりし女優シリーズ(?)第2段。
先の『クリエイタ-』から女優繋がりでマリエル・ヘミングウェイ( かといってこれは一時の気の迷いでずっとこのパターンがつづくわけではない‥‥と思う)。

なにから話そう、とにかくメッシーな映画である。

物語のネタになっているのは、1980年のプレイメイト・オブザイヤーに輝いたドロシー・ストラットンが、彼女のヒモ/旦那の男に殺された実話をもとに、インタビュー形式で物語を映像化してる。
ハッキリ言ってすっごく見心地の良くない映画なのだ。初めてこの映画を観た感想は、「なにこれ??」っていう、生理的に受け付けない不愉快さが残る映画だった。もう観ることはないだろうと思いつつ、でもあるひとつのカット(でっかい彼女のアップのポスターのまえに座ってるマリエル・ヘミングウェイ)のがやたらと印象にのこって、あの絵をもう一度見てみたい‥‥という衝動にかられてふたたびビデオ屋で手にとって2度目を観たら、以前感じた不愉快さを受け止め理解できる体質に自分がなっていたらしく、そこそこ見られた。
もしこの映画が、ベルイマン物をよく撮ってい巨匠中の巨匠撮影監督 スヴェン・ニクヴィストの手によるものでなかったらきっと2度目はなかっただろう。画面 の色合いはとっても素敵なのだ。

まず監督、ボブ・フォッシー、けっこう偉大どころの監督さん。20世紀のミュージカル史上最大の振付&演出家‥‥らしい。本業は映画監督というより舞台の演出家/振り付けしだったりするのだか、『キャバレー』『レニーブ・ルース』『オール・ザット・ジャズ』などの大物の映画も撮ってたりする。
基本のイメージは舞台がらみ‥‥という印象があり、それを意識するとかなり違和感のあるものなのだが、流れてきには『レニー・ブルース』の流れだといっていい。この映画、ダスティン・ホフマン扮するスタンダップ・コメディアンのドキュメンタリー的な映画。偽善を排した政治的社会的な攻撃的なトークを笑いにしてしゃべりまくるブルースだか、麻薬に溺れたり、逮捕されたり、だんだんと社会批判だけのトークになっていく。そうしてると人々の人気もおちてくる。そんな荒廃したいち芸人のドキュメンタリーなのだか、この『スター80』もでたぶんこの流れでドロシー・ストラットンを映画にしてみたかったのだろう。
というか、 『オール・ザット・ジャズ』にしたって実は本人のドキュメンタリーなので、基本的にはドキュメンタリー系が好きなのだと思う。そのなかで、一つのこだわりを捨て切れず、凡人になれない不器用な生き方しかできないで、墜ちて行くキャラが好きなのかも‥‥って今では思える。

物語はエリック・ロバーツ演じるポール・スナイダーという男を観てるだけでむかついてくる。自分自身にはなんに生産的能力がなく、ある種の魅力を持った人に寄生してそこらのおこぼれをもらうことで生き長らえてるようなキャラ。 ダメな人間をそのまま絵にしたようなキャラで、ほんとに生理的に「こんなやつ、観たくない!」って思わせてしまうのだ。
しかし、そんなポールに見い出されて、ある時は憧れて結婚までしてしまったドロシー。
やがて、自分の未来には輝かしいスター街道が用意されてる。しかし、彼女が華やけば華やぐほど、彼女を食い物にして生きるしか脳のないポール。そんなポールのチンピラ人生をみると、周りの人間もドロシーに彼と手をきることをすすめるようになるが、でも、彼女には初めて恋した男が彼であり、彼への憧れた歴史を否定することが出来ない。その男は墜ちて行くと分かっていて、はなれられない女なのである。人を好きになるには幼すぎて、<その人が好き>だったかどうかも不確かなのだが、それでも<その人を好きになったということにした事>を裏切れないまま沈んで行く女。
ドストエフスキーの女たちはかならずシベリア送りになる男についていく。それがドストエフスキーの愛の形なのかもしれない。たしかに彼のドラマのなかではそれはかっこいいのだが、この映画はどうだ? “なんでこうなることしか選択出来んの?”って思うんだけど、壊れると判っていてもそのパースにのってしまい、最後までいってしまうドロシー。
あまりに哀れで‥‥。

最初にみたときは“なんでボブ・フォッシー『スター80』なん??” ‥って思ったけど、やっぱりこれはボブ・フォッシーの映画だなあって今となっては理解出来る。
結局ボブ・フォッシーって、どの映画もそうだけど、世間と妥協出来ない人間が好きなんだね。
この映画はぱっとみ軟派路線っぽいけど、世間と妥協出来ないで墜ちて行くしかない、でも、じゃあ世間ど妥協して自分のこだわり捨てたそこに「自分」ってあるの??みたい、根本的問題を語りたいのだろうなあって思うのでした。

by ssm2438 | 2009-04-12 00:33


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