西澤 晋 の 映画日記

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2009年 07月 24日

イルカの日(1973) ☆☆☆

f0009381_5244915.jpg監督:マイク・ニコルズ
原作:ロベール・メルル
脚本:バック・ヘンリー
撮影:ウィリアム・A・フレイカー
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:ジョージ・C・スコット
    トリッシュ・ヴァン・ディーヴァー 
     *     *     *

「ふぁあああああああああ~~~~~」
「ぶぃいいいいいいいいい~~~~~」
「ぷぁあああああああああ~~~~~」
この映画を見た後はやたらとこんな音をだしたくなるのです。

さきごろハルストレムの『HACHI 約束の犬』が公開されたが、動物ものの卑怯なところはあの純粋さですね。彼らの世界には「嘘」という概念がないのでここがドラマになるところでしょう。なにかの本で読んだことがあったが、「<嘘>というのは言葉に帰属する概念だ」というようなことが書いてあった。言葉がなければ<嘘>も存在しないというわけだ。まさにその通り。
だからといって言葉がない世界がいいのか?」といわれればネガティブだ。私は嘘が入り込んだとしても言葉のある世界のほうが好きだ。これは<心>の問題とよくにている。よく動物愛護団体なんかは「動物は必要なぶんしか殺さないが、人間は必要以上のものを殺す」という発言をするものだ。っこんなことをきくと「・・・だから人間がけしからんのか?」と聞き返したくなる。
なんでも人間が心を持ったのは紀元前500万~800万年まえ(ちとウル覚え、ちがってたらすいません)だそうで、なんでもそのころから死んだ人猿が埋葬されたけいせきがあるそうだ。つまり心をもたない動物であるなら、死体もそのままにしておいたはずだ・・ってことなのでしょう。もしかしたら腐って悪臭をはなつから土をかぶせただけかもしれないすが・・、とりあえずその学者の話では、そのころをもって人が心をもった時期と設定しているとか。理解できる解釈です。人ザルは心をもったゆえに未来に関して恐れだすのです。もしかして食べるものがあと一週間なかったらどうしよう・・とか。だったら必要以上に捕っておくべきだという発想になるのは当然でしょう。
それ以上に優越感も重要なポイントだろう。本来1対1では勝てないライオンなんかを相手にして、銃という文明の利器を手にした人間はそれを使用して食べないのに殺す、快楽のために殺す、虚栄心のために殺す・・というのも心をもったからだ。
さらに心をもった人間は月に旗をもっていった。旗ですよ。象徴です。これらも総て心をもったからそういう行動にでたのであって、進化の過程では不可避な進化だったのだろうと考える。そしてそれにともなう<嘘>という概念が発生することも、受け入れるべきことだと思う。なので嘘の存在しないイルカの世界が純粋だと思えても、それが人間の世界より素敵なものだとは全然思えないのが私の感じるところだ。


それでもこの物語はこのツボをヒットしている。
ある財団からフィナンシャルな援助を得て海洋動物学者のジェイク・テリル博士(ジョージ・C・スコット)は、ある島でイルカに人間の言語をわからせる研究をしていた。そのなかで一匹のアルファー(通称ファア)と呼ばれるイルカが言葉の認識と舌足らずのかわいい声で単純な言葉ならはなせるようになっていた。
しかしその財団の目的はイルカに命令し、爆弾を背負わせ、大統領のクルーザーに爆弾をしかけあんさつしようとする計画をたてていた。そのためにイルカに人間の言葉を理解させる研究に興味をしてしていたのだ。

ファーはもう一匹のメスのイルカベータ(通称ビィー)と一緒に飼われていた。
あるとき財団の上層部の人間たちがやってきて研究の成果をみているとき、冗談で「このプールにはサメがいるぞ」っというろビーはおどろいてネットをとびこえ沖へと逃げ出してしまう。「ファー、ビーを連れ戻すんだ」と命令するテリル。
結局ファーがビーを連れ戻してその場は事なきをえたのだが、ファーがぼそっと「人間・・、ないことを言う」と語りかえる。イルカたちも言葉を覚える以上だんだんと嘘も覚えるのだろう思われるが、この物語の時点では純粋さだけが輝いている。

そうしているとテリルたちは財団に呼ばれしばらく研究施設から離れた隙に、彼らはファーとビーを略奪、2匹のイルカの背中に爆弾を背負わせ大統領のクルーザーの船底にそれを設置してくるように命令をだして送りだしていた。
ま、それこはそれ、悪人たちの悪巧みは失敗におわる。
そしてテリル博士のもとにもどってきたファーとビーにテリルは、お前たちはふたりで海へ出て行け、そして二度と人間と話すな、と命令する。離れようとしないファーは「ぷぁあああああああああ、ぷぁあああああああああ」と切なく呼ぶ。そんなイルカたちに振り向くことなく「パー、イズ・ナット!(パパはもういない)」といい去っていく。それでも「ぷぁああああああああ、ぷぁああああああああ」と呼ぶイルカ。振り向きたいのをこらえてさるテリル夫妻。せつない。。。

あきらめて海へでていくファーとビー。
やがて財団は生き残ったテリル夫妻を処分するために殺し屋たちを乗せた飛行機が着水して研究所のあるしまえ近づいてくる。


正直なところ、ちょっと大統領暗殺にイルカを使うという発想はかなり無理があり、それを博士の言葉で大逆転、犯人たちのクルーザーに爆弾をつけて作戦をひっくりかえしてしまうストーリーにもむりかあるのだが、このさいその辺のおおざっぱさは眼をつぶろう。
ポイントは<嘘>のないイルカの世界と言葉と嘘を使い分ける人間の世界の対比だったのだろう。ストーリーはちょっと無理があるが、一見の価値のある映画だと思う。

by ssm2438 | 2009-07-24 22:50 | W・A・フレイカー(1923)


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