西澤 晋 の 映画日記

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2010年 07月 25日

沈黙(1962) ☆☆☆☆☆

f0009381_6104455.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト

出演:グンネル・リンドブロム
    イングリッド・チューリン
    ヨルゲン・リンドストロム

     *     *     *     *

『鏡の中にある如く』『冬の光』に次ぐ、イングマル・ベルイマン<神の不在>三部作の三作目。ただこの映画がすべて関連性があるわけではなく、あくまでどれも神の不在をテーマにしたというもの。そしてベルイマンの作品のなかでは一番私が好きな作品である。・・・と同時に一番分かり易い作品だとも思う。

人がなんらかの行動を起こすとき、そこにはモチベーションがある。そのモチベーションの基本になるのが<知識>と<感情>。しかしここでいう知識とはどこからきたのだろうか? 知識といわれるものは自分のそとからきたものなのだ。
「うちに帰ったら手をあらいましょう」「人のものを盗んではいけません」「車は左、人は右」「朝起きたら歯をみがきましょう」・・など。これらはすべて両親であったらい、友達であったり、先生であったり、あるいは本屋や映画の一説から自分の知識として構築されたものだ。つまり、自分のなかの他人の言葉なのだ。
ではなにが自分の本当の言葉なのか?と考えるとそれは自分が感じること、心からそうしたいと思う欲望、それこそが本当の自分だということになる。
しかし現実問題として総てが欲望のままに行動するわけではない。それを実行したらそれで自分は社会的に抹殺されるということも知識として理解し、それが制御してくれるので感情と知識との間で自分の判断はゆれることになり、最終的に自分が「こうする!」と決めなければならない。

この映画は<知識・理性>を象徴するものとして姉のエステル<感情・欲望>を象徴するものとして妹のアンナをその中央にヨハン<自分>を配置している。はたしてこの映画の<自分>はどう判断して、なにを選んでいくのだろうか・・・?

<あらすじ>
多分第二次世界大戦のさなか、異国を旅する列車のなかのコンパートメントにエステル(イングリット・チューリン)とアンナ(グンネリ・リンドブロム)の姉妹が言葉少なげに向かい合って座っている。お互いに目をあわそうとはしない。しかし姉のエステルが発作を起こし苦しみだすと、アンナは息子のヨハン(ヨルゲン・リンドストロム)をコンパートメントの外に出ているようにと促しす。廊下にでたヨハンが窓のそをとみると、沢山の戦車をせた列車みえる。外の世界の脅威を表しているのだろう。

なぜ彼女らが旅をしているのか? これは物語のなかほどで明らかになるが、どうやらこの姉妹の実家に子供をしばらくの間疎開させることになったようだ。

ふたりは言葉も通じないどこかの国のホテルに宿をとることになったようだ。
ホテルに着くとベットによこになる姉エステル。その隣の部屋でやたらと動いているアンナ。そして床にすわってそんなアンナの足を見ているヨハン。バスルームにはいったアンナはやはりその中をいったりきたりしているが、最後は裸になって一方へ消えていく。そしてなかから声が、
「ヨハン、背中を流して」。
うれしそうに浴室へと駆け出すヨハン。

ここでのポイントは、ヨハンが自分の母親を<女>として意識している部分があることだ。そして後のシーンをみてわかるのだが、エステルにはその感情をもっていない。ヨハンに女として見られないエステルは、ある種の劣等感を感じているのかもしれない。

風呂から出たヨハンは母親にクリームをぬってもらいベットにもぐり込む。しばらくするとその手前に裸のアンナが寝そべり、乳房がベットと体の間でふくよかにつぶされる。エステルは隣の部屋で翻訳の仕事をしているが、ふたりが寝込むのを感じるとふたりの部屋にはいっていき、うつぶせに寝たアンナの背中をながめながらベットのそばに腰をかける。しばらくみているがアンナの髪をなでる。そしてヨハンの髪も・・・。

このシーンの意味が、そのとき分からなかったのだが二回目に見るとすごく意味があることに気づく。これも後の会話で判明するのだが、この姉妹は以前はお互いの体を慰めあった関係にあったことがわかってくる。しかし今は、妹のアンナはその関係をたち、姉はそれでもまだ求めていることが匂ってくる。
この映画ではそれを直接みせることはない。あくまで匂いで感じとならければならない。

自分のベットにもどったエステルはタバコをふかしながらアルコールを飲み干し、給仕を呼びアルコールをもとめる。年老いた給仕が現れる。・・英語は? フランス語は? ドイツ語は? どれもだめらしい。言葉が伝わらないながらも身振り手振りでなんとかコミュニケーションを成立させているエステル。給仕も極力愛想よくふるまおうとしている。
目を覚ましたヨハンだがアンナはまだ昼寝をしていたいとベットにはいったままだ。退屈になったヨハンは服をきて、玩具の銃をもって、ホテルの内部を探検にでかける。

廊下に出ると、はしごをもって廊下を横切るおじさん。どうやら廊下のシャンデリアを修理するらしい。はしごの上で修理をしているおじさんに向けて銃を構えて発砲(パシッと音がするだけで弾はでない)。無言でヨハンを見るおじさん。
廊下を歩いているとさっきの老給仕が昼寝をしている。しばらく眺めていると目を覚ましてヨハンに気づいく。愛想いい作り笑いで近づいてくるが、恐ろしく感じでその場を走り去ってしまうヨハン。
廊下にある大きなえを見てると小男(ホルモン異常で大人なのに体が子供くらいしかない)が廊下のむこうを通り過ぎようとしてヨハンにきずき、かるく手をあげてあいさつする。
とそのときさっきの給仕が「うわっ」と子供を脅かすようにうしろから捕まえる。びくっとおびえるヨハン。また走り去る。老給仕にしてみればなんとか子供に愛想を振りまこうとしているのだが、どうも裏目にでているようだ。それでもヨハンにしてみれば悪魔のような怖さなのだろう。
そんなことをしているとさっきの小男たちがいる部屋に入り込む。かれらは遊技団らしい。今日の出し物の打ち合わせをしているようだ。その中の一人を玩具の拳銃で狙って撃つと、ちゃんと撃たれた振りをしてくれる。ヨハンも楽しくなって一緒にワイワイとやっているのだが気づけば女の衣装を着せられている。

この一連の描写ではヨハンが未知なる物に対して笑顔で受け入れたらいいのか、それとも恐怖して逃げたらいいのか、怒って喧嘩を売るべきなのか、判断が出来ないような状況なのだ。それでも彼はどうするかを判断しなければならない。このあたりから「沈黙」というタイトルの意味が少しずつみえはじめる。

目を覚ましたアンナはそのふくよかな乳房を洗面所であらい、いろっぽそうな服をみにつけ、「ちょっと歩いてくるは」と一声かけて出て行く。ドアのしまる音がすると叫びだしたい気持ちを必死でおさえるエステル、それでもうめき声がもれる。酒をあおってもえずくだけ。
「惨めな気持ちだわ・・・、た得られない、惨めよ・・・うくくくくうううう」 もだえながらベットから転がり落ちる。
「冷静にならなきゃ・・・、理性を失いたくないわ・・・」

この時点ではこのシーンの意味もわからないのだが、のちにふたりの関係が分かってくると、このシーンの言葉の意味がわかってくる。以前は自分をもとめていたはずの妹が、今では他の男を求めるようになっている。それだけではなく、その屈辱感をわざと自分に感じさせている。そのことがこの「惨めよ・・・」になっているのだ。

そんな取り乱したエステルにやさしくしてくれるのは老給仕だけだ。
一方アンナの存在とそのしぐさは明らかに町の男たちの欲を刺激することに成功しているようだ。

冷静さをとりもどしたエステルは部屋にもどったヨハンと食事をしている。この時この旅が実家に向かっているたびだと分かる。同時に、ヨハンはエステルには女を感じていないことも・・。

ある小劇場にアンナが入るとヨハンが出会った小男たちが劇を披露している。しかしその後ろの席では男と女が愛欲の行為にふけっている。たまらなくなり出て行くアンナ。
戻ってきたアンナは服を脱ぎ洗面所に向かうと後ろに姉がたっている。脱ぎ捨てられた妹の服に泥がついていることを確認すると、なにも言わずに自室へ戻っていくエステル。一間おいてエステルの部屋にアンナがやってきて、「私のすることをいちいち詮索しないでほしいわ」と言ってドアをしめる。その口ぶりが許せないエステル。

夜になると露出のある服をきて「出かけてくるわ、ヨハンに本でも読んであげて」と言いドアへ向かうアンナ。
「・・私をおいて?」
立ち止まるアンナ、一瞬間をおいてきびすを返えし、覚悟したようにいすに座るアンナ。
「ヨハン、ちょっとアンと話があるの」とエステル。
「廊下にでてて」とアンナ。
・・・このへんの会話からすこしづつふたりの関係がみえかくれしてくる。

ヨハンが外にでると、
「昼間どこへ行ってたの?」と姉。
「散歩よ」とアンナ。
「ずいぶんながかったのね」
「・・・詳しく話す?」

嘘とも本当ともとれるストーリーで姉にジャブをあびせる妹。
「寝ないの?」とアンナ。
「寝るわ」とエステルがベッドによこになると
「・・・・私と一緒に寝てよ、ちょっとだけ」
その間にアンナがベッドのよこに腰をかけていたらしい。起き上がるとすぐそばに座っているアンナの首筋があり、息のかかるくらいのちかさにいる。すぐにも首筋に口づけ出来る距離なのに、理性で必死にこらえてるエステル。
f0009381_22382174.jpg「その男と会うの?」
「・・・・・」
「会わないでよ・・・・今夜はよして・・・・つらいわ」
「・・・・・なぜ?」
「・・・なぜって・・・・・私がみじめよ」
「・・・・・」
「嫉妬してるんじゃないのよ」
「・・・・・」
我慢できずアンナのほほに唇をおしつけるエステル。

「行くわ」っとアンナ。
一点をみつめるエステル、やがて目を閉じる・・・。バンと大きな音がして出て行くアンナ。

この一連の台詞と芝居でこのふたりの過去の関係が明白になってくる。この映画は画面でも言葉でも本当のことを言わないので、みている人が感情移入して二人の関係を認識していくしかない。

隣の部屋に男をつれこむアンナ。それをみてしまうヨハン。
「私たちふたりともママが好きね」と悲しげにおでこをあわせるエステルとヨハン。
情事の最中、アンナはエステルがドアの外にいることに気づき中に入れる。姉に見えつけるように愛撫をうけている妹。愛撫をうけながら「姉さんは自分が中心にいなければ我慢できないのよ」とののしるアンナ、
「ずっと私はお姉さんを見習ってたのに、お姉さんは私が憎かったのよ」
「そんなことないわ」とエステル。

たぶんそれはホントで嘘なのだろう。
エステルにとってアンナはまもってあげたい、そして自分が支配したい妹だったのも確かだし、自分が理性を基本として生きているのに対して、妹は感情を基本としていることを許せなかったのだろう。妹にとっての姉は独裁者であり、矯正者であり、偽善者であり、本来愛したいのに憎しみの対象になっていたのだろう。
これは総てのベルイマン映画に通じるコンセプトといえる。

泣きながら言ってしまう妹、
「可愛そうなアン」といってなんとか自己を肯定して出て行く姉。
勝ち誇ったように笑う妹。そんなアンナを愛撫しつづける男。笑おうと努力しているのに涙があふれ出るアンナ。

一夜があけて、ベッドには昨晩の男がまだ寝ている。服をきて部屋を出ようとするとドアの向こうでエステルが倒れている。ずっと一晩中そこにいたのだろう。愕然とするアンナ。

エステルのかたわらには老給仕がいて世話をしている。
アンナはヨハンと2時の列車で行くと告げる。

     *     *     *     *

余談ではあるが、ベルイマンの演出するうめき声、もだえはすごい。
この作品の3年後に黒澤明『赤ひげ』が公開されることになるのだが、すい臓がんの患者が死ぬときの絶え絶えの息づかいは、この『沈黙』を見ると、このエステルのうめきをコピーしているように思われる。
そしてベルイマンの『処女の泉』は黒澤の『羅生門』からインスパイアされたと言われている。このふたりは、お互い会うことはなくとも、フィルム上でお互いを意識しあってたのではないかと思えるのは勘違いだろうか?

by ssm2438 | 2010-07-25 08:29 | I ・ベルイマン(1918)


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