西澤 晋 の 映画日記

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2009年 07月 30日

地球爆破作戦(1970) ☆☆☆☆

地球爆破作戦(1970) ☆☆☆☆_f0009381_0401972.jpg監督:ジョセフ・サージェント
脚本:ジェームズ・ブリッジス
撮影:ジーン・ポリト
音楽:ミシェル・コロンビエ

出演:エリック・ブレーデン
    スーザン・クラーク

     *     *     *     *

軍事力強化の流れからコンピュータにその管理を任そうとしたら、結局人類自体を管理するのが一番戦争にならないという結論になり、コンピュータが人類を支配する話。今ではよくある話だが(当時でもよくあった話だと思うが)、実にその話のディテールがしっかり描けてるというのがこの映画。

監督はテレビ映画専門のジョゼフ・サージェント。しかしたまに劇場映画も撮るのだが『サブウェイパニック』(1974)は地味だが良く出来ていた。地下鉄ジャックというけっこう無理そうなシチュエーションを最後まできちんと緊張感持続させていた。最近また『サブウェイ123 激突』としてリメイクされている。

そしてこの映画を見たいとおもったのは脚本のジェームズ・ブリッジス。私の大好きな『ペーパーチェイス』の監督・脚本だし、原発の危機を説いた『チャイナシンドローム』もこの人だ。基本は人間性の欠如に対してNGをだしている人で、行き過ぎると反政府とか反権威とかという私の嫌いな方向性に転がりかねない危険な臭いもしないではないのだが、映画として当りの映画はきわめてきちんと当たっている。

しかし、タイトルはいただけないなあ。こんなタイトルつけちゃったら福田純『エスパイ』でもみようかって人でないとみないんじゃないかなあ(苦笑)。ちなみに原題は『コロッサス:フォービンプロジェクト』。コロッサスというのは巨大コンピュータの名前で、フォービンというのはそれを開発した科学者の名前。
たしかにタイトルはひどいけど内容はしっかりしてる。1970年という時代を考えるとコンピュータなんかの描き方は古さを感じるが、当時としては予想される世界情勢や、そのときに人間の対応のしかたをしっかりシュミレーションしてくれているようにみえる。なによりコンピュータと人間のやり取りがみていてわくわくする。これがなにより素敵。

<あらすじ>
米ソの冷戦時代。アメリカ政府はフォービン博士(エリック・ブリーデン)の指揮のものと、無敵コンピュータを開発し、ソ連からの攻撃に対処しようとしていた。コロッサスはロッキー山脈地下深に設置され、国内外のいかなる破壊工作も受けつけない、自給自足なコンピュータだ。国中の有識者をあつめてコロッサスをたちが照ると、コロッサスはもう一基同じようなコンピュータが存在することを感知する。ソ連も同じようなコンピュータガーディアンを作っていたのだ。

このへんから徐々に人間とコンピュータの思惑がすれ違ってくる。
アメリカ政府はソ連と対峙しながら恒久的平和を求めたのだが、コロッサスはソ連とのコンピュータ:ガーディアンと連携してアメリカの恒久的平和を確立しよう考える。アメリカ政府にしてみれば、相手のコンピュータと仲良くなって欲しくのだがコロッサスはガーディアンと連携しようとすしはじめる。人間が強制的に回線を切ると、「ガーディアンとの回線をひらけ。言うこと聞かないとミサイルうっちゃうぞ」って今度は人間をおどしてくる。

<アメリカ・コロッサス>対<ソ連・ガーディアン>の構図が<コロッサス・ガーディアン>対<アメリカ・ソ連>に変わっていく。お互い共通の敵ができれば昨日の敵は今日の友なのだ(苦笑)。

両国首脳は両国の科学者を1人ずつローマに派遣して対策を協議させることにした。しかしそれもたちまちコンピューターに感づかれ、ソ連の科学者クプリン博士はコンピューターの指令によって派遣された兵士に殺される。フォービンが助かったのはコンピュータと人類の仲介役として一人はコンピュータのエキスパートが必要だと判断されたからだ。この時点でコンピュータの支配はほぼ完了する。

そのような管理下のなかでフォービンたちのグループはコロッサスを停止させるための工作をつづける。しかしフォービンは自宅軟禁の状態であり、彼らと直接コンタクトとることはできないが。なので開発グループの女性スタッフクオレ(スーザン・クラーク)を仲介やくに立てる。
男には性欲を満足させる必要があること。そしてストレスから開放されるためにプライベートな時間は不可欠だということ。ゆえに彼女と情事の最中は監視はしないことを要求するフォービン。これを理性的に受け入れるコロッサス。このあたりがこの映画の紳士的なとこなんだよね。

はじめてクオレが訪れた夜、その時間になるとコロッサスはクオレにきているものを総て脱ぐことを命じる。命令にしたがうクオレ。同様にフォービンも。そして寝室にはいっていくふたり。そしてその部屋のなかだけはコロッサスのモニターカメラやマイクがオフになる。寝室ではコロッサスの破壊計画を伝達、その計画の進行状況の確認などが行われるが、セックスの行為にいたってしまう。
このへんの展開がじつに自然でいい。コンピュータにおける人間性の立ち入る好きのない社会のなかで、
偽装恋人のふたり、モニターはオフになっていてエッチまでする必要もないのだが、肌のぬくもりや人間的リビドーの追及をしてしまう。

以下、計画はもれ、フォービンの開発グループの何人かは処刑され数日そのまま放置される。核弾頭を摩り替える作業もみすかされていて、そのサイロは爆破される。人類の希望は消え去ったところで物語は終わる。
最後にコロッサスはこうアナウンスする、

   私に従えば、我々は共存できる。
   君たちは自由を失うというかもしれないが、
   そもそも自由とは幻想にすぎない。
   君たちが失うのは自尊心だけだ。
   だが、他人に支配されるよりも、
   私に支配されたほうが傷つく度合いは少ない。

いやいやいやいや、すごく的を得た演説だと関心してしまった。
それでも、我々がこれを受け入れられないのは、「自尊心」を失いたくないってことなのだろう。

by ssm2438 | 2009-07-30 08:29


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