西澤 晋 の 映画日記

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2010年 08月 08日

恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ(1989) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

f0009381_129141.jpg監督:スティーヴ・クローヴス
脚本:スティーヴ・クローヴス
撮影:ミヒャエル・バルハウス
音楽:デイヴ・グルーシン

出演:
ミシェル・ファイファー (スージー)
ジェフ・ブリッジス (ジャック)
ボー・ブリッジス (フランク)

     ×     ×     ×

私のなかの大好きな映画のひとつ。
いまとなってはハリポタシリーズの脚本家として有名なスティーヴ・クローヴス。実はそのハリポタはみてないのだけど、この人の初期の作品『月を追いかけて』もけっこう好きだ。しかしあんなん書いてたら大衆受けはしないだろうなあって思っていたのだが、その次に書いたこの『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』もあまり世間では知られてないかも。
しかし、これは間違いなく傑作のひとつだ。

15年間ペアを組んでホテルをまわりピアノの連弾を披露するベイカーボーイズと名乗る兄弟フランクとジャック(ボー・ブリッジズジェフ・ブリッジズ)。妻子もちでチームのマネージメントもかねる堅実な兄と天才だがその才能が認めず脚光を浴びないまま今の生活をつづけている弟。しかし現状のやり方に限界を感じ女性ボーカルを追加しようとするところから始まる。オーディションをするがまともな応募者は誰もいない。そんな中遅れてやってきたスージー(ミシェル・ファイファー)。彼女が加入したことで彼らはどこのホテルに行っても人気ものになっていく。3人でおこなるコンサートは、ふたりのピアノがスージーの輝きを引き出していく。

そんなある日、フランクの子供が交通事故にあったと連絡がはいり、彼だけツアーをはなれることになる。ジャックとスージーだけでやるコンサート。これが実にいいムードなのだ。
しかしジャックとスージーの二人のコンサートは、艶っぽく、お互いを官能しあうコンサートなのだ。ジャックの弾くピアノの上で歌うスージーの絵は映画史上でも燦然と輝く名シーンのひとつとっていいだろう。そしてコンサートが終わってとっちらかったままの早朝、一人で弾くジャックに歩よるスージー。
舞台に座るジャックに背中をあずけ首筋をマッサージしてもらうスージー。その手がやさしく愛撫する手になり、それを受け入れるスージー。スージーの赤いドレスが脱がされていく。スージーは体をジャックのほうにむけキスをする。。このへんの流れが実に色っぽい。実にロマンチック。素晴らしいの一言。

この映画のすごいところは、観客に想像させる演出術のすばらしさ。
情報を提示するだけのアホ監督が多い中、スティーヴ・クローヴスの演出は期待させること、思わせぶり、想像させること、これが圧倒的に上手い。これほど上手い監督さんは思いつかない・・。

彼の演出術のおかげで、ジャック(ジェフ・ブリッジズ)とスージー(ミシェル・ファイファー)がセックスにいたるまでの展開はほんとに面白いのである。きっとこの調子で最後までいったらこの映画はビッグヒットだっただろう。
しかしこの物語はここからややこしくなる。
すこしづつギクシャクするユニット。やがてスージーに舞い込むソロの仕事。
「そんな仕事なんか断って、俺らとやっていこうぜ」って言えばこの物語はさらなるハッピーな展開になるはずなのに、それがいえないジャック。結局ユニットは分裂、フランクは「ピアノ教師でもやるさ」といい、ジャックには「良かったら店で弾いてくれないか」という話がくる。

やるせなさで酔っ払い転がり込んだファミレスで寝込んでいるジャックにいつぞや聞いた下手な歌声。オーディションで落とした女がそこでバイトをしていた。彼女はファビュラス・ベイカーボーイズのファンだという。みれば壁には幸せそうな笑顔の3人のユニットの輝かしいころの写真がはってある。


この映画の問題点は大衆受けしないストーリー展開。
この人は決してサクセスストーリーが書きたいわけじゃなくって、才能あるのに世間に認められない自分を書いているのだろうと思う。
劇中のなかでバーでピアノを弾くジェフ・ブリッジズの姿をみるミシェルファイファーというシーンがある。翌日喧嘩別れすることになるのだが、「俺たちは2度寝た、それだけだ。俺のことなんかなにも知らないくせに」というジャックにむかって売り言葉に買い言葉で言うスージー。

 「ひとつ知ってるわ。昨日バーで弾いてるあなたを見たの。
  昔の夢をひっぱりだして誇りを払ってるあなたをね。
  毎晩どこかのバーで自分を叩き売ってる。
  ・・・私だって経験あるわよ。行きずりの男と寝た後自分にこう言い聞かせる夜の。
  なんにも気にすることはない。記憶を空っぽにすればいいんだから。
  ・・・でも空っぽになるのは自分自身なのよ」

これは効くね。
きっとスティーヴ・クローヴスが自分自身に言ってる言葉なのだろう。下世話になれない天才過ぎる人の言葉。これは『月を追いかけて』を一緒にみればこの監督さんの本質が見えてくる。けっして飾らない、とても純粋で身の丈以上のものなど書こうともしない人。あの話も自伝的要素が強いのでは??って思ってしまう。
だから決してサクセスストーリーは書けない。嘘が書けない人なのだろう。自分が分かる範囲の物語しか書けない人。だから私がこれほどまでに惹かれるのだろうと思う。自分ににた人間だと感じているのだろう。
(これはジャンカルロ・フィジケラにもいえることなのだけど)

そんなスティーヴ・クローヴスもハリポタの脚本を得てビッグネームになりつつある。技術力はホントにある人なのだが、エンタが出来ない不器用さが災いしてメジャーになれなかった彼が、エンタなファンタジーの脚本を書く事で世間に認められつつあるのはうれしいことだ。

嘘つきになれない、純粋すぎる天才たちに栄光あれ!

by ssm2438 | 2010-08-08 01:31


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