西澤 晋 の 映画日記

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2009年 04月 23日

コールガール(1971) ☆☆☆

f0009381_3185174.jpg監督:アラン・J・パクラ
脚本:アンディ・ルイス
    デイヴ・ルイス
撮影:ゴードン・ウィリス
音楽:マイケル・スモール

出演:ジェーン・フォンダ
    ドナルド・サザーランド
    ロイ・シャイダー

     *     *     *

エイドリアン・ラインが登場したのをいいことに、氷のフィルターを持つ男=ゴードン・ウィリスも登場させてしまおう。私の一番好きな撮影監督である。これも☆ふたつおまけ。
エイドリアン・ラインとゴードン・ウィリスは同じシルエット派の2大巨匠、しかしエイドリアン・ラインのシルエットには華がある。使われる光線はブルーであったりレッドであったり、いわゆる人工的な華やかなネオン色なのだ。しかしゴードン・ウィリスのそれは正反対、彼のシルエットのバックはグレーでありセピアであり、彩度の落ちた色なのだ。そんなゴードン・ウィリスが写し出す都会の絵は実に孤独で冷たく、恐ろしいまでに無機質だ。あの冷たい感じはまさに「氷のフィルターを持つ男」の名に相応しい。
そんな彼の画面はどんなB級サスペンスをとらせても、重厚なドラマと勘違いさえさせてしまう凄みをだしてくる。ましてや重厚な画面 を欲した時は、ゴードン・ウィリスに依頼すれば間違いはないだろう。フランシス・F・コッポラ『ゴッドファーザー』アラン・J・パクラ『大統領の陰謀』ウディ・アレン『インテリア』ジェームス・ブリッジス『ペーパーチェイス』…etc、一度彼を撮影監督使ったらもう他の人にはなかなか頼めないだろう。
そしてこの『コールガール』は、アラン・J・パクラとゴードン・ウィリスがはじめて組んだ作品であり、その後続けて3作二人のコンビはつづいている。 ちなみに、アラン・J・パクラがゴードン・ウィリスと仕事してない時に撮影監督は誰だ??と思って調べてみるとベルイマンもので有名なスヴェン・ニクヴィストやらネストール・アルメンドロス(『天国に日々』『ソフィーの選択』)。おおお~~~~~~~!!!とか思ってしまった。私と趣味同じ‥‥というか、実に目が肥えている。重厚で純粋な絵づくりを作る人しか使いたくないのだろう。

ゴードン・ウィリスと言えばその格調高い画面 で有名なのだが、とにかく画面 が黒いのだ。しかしそのなかでも『コールガール』は図抜けて黒い。あまりに見えなさ過ぎてストレスたまりまくり。20代のころに一度この映画をみてあまりに暗くて何も見えない画面にいらつきを覚え途中で辞めた覚えがある。でも、その印象は余に強く、しばしの時間をおいてからまた観たのだが、いや~~~そういうもんだ‥って思ってみるとこの暗さがとっても素敵に思えてくる。すこしは大人になったみたいだ(苦笑)。
しかし、この『コールガール』はほんとに暗すぎて、一般 人にはちょっと耐えられないだろう。『ゴッドファーザー』なんてこの映画にくらべればあまりに見え過ぎてつまらないほどだ(苦笑)。しかし、さすがにそんなゴードン・ウィリスもこの後はすこしは反省して若干みやすい色で撮るようにはなったようだが、やはりゴードン・ウィリスの原点はここであり、彼がやりたかった事のたぶん全ては『コールガール』の中にあるのだろう。 ゴードン・ウィリスファン、 must see の一本である。

監督のアラン・J・パクラはそれほど多くの映画をとっているわけではないが、撮ったものは重厚な味わいでとってもよい。ストーリーに対して感情移入を避け、ちょっと離れた位置から物語をクールに捕えている作品が多いような気がする。こののちの『パララックス・ビュー』『大統領の陰謀』『ソフィーの選択』、最近では『推定無罪』などテイスト的にはけっこう好きだ。『パララックス・ビュー』なんて後味が悪くて映画としていいのか悪いのかちょっと疑問なところではあるが、あの映画のもつ謎めいた社会のおおいなる力の見えない恐怖がとっても素敵なのだ。全体的にはそのおおいなる社会の恐怖/弧 度の中で健気に個人として生きる人を描きつつ、でもたぶんアラン・J・パクラが描きたいのは、その社会のもつ巨大な力の方なのだろうと思っている。
余談ではあるが、クリスティ・マクニコルが主演してアボリアッツでグランプリも撮った(かなり意外だったが)『ドリームラバー』なる映画もけこうすきである。

映画というと、ジェーン・フォンダが繊細できれそうで、心細気で、実にいい。あのころのジェーン・フォンダはホントに良かった。これでアカデミー主演女優賞の1回目をとっている。 ちなみに2度目はハル・アシュビーの『帰郷』だった。


物語は‥‥はは、実は良く判っていない。あまりに説明がとぼしくていまいち判らないのだ。そのストーリーのわからなさもこの映画を途中でやめたくなる原因の一つではある。映画をみただけだと分かりづらい話なのであえてストーリーをまとめておく。

ある研究所の科学者トム・グルンマンが消息を絶って数か月後、行方不明となった彼がニューヨークにいるコールガールに宛てた猥褻な内容の手紙が発見された。世間さまに大っぴらにしたくない内容だったため、グルンマンの上司のケーブル(ちょっとMr.ビーンに似てる)は彼の友人であり警察官のジョン・クルート (ドナルド・サザーランド)に内々で捜索を依頼した。
クルートはグルンマンと関係のあると思われる『コールガール』、ブリー・ダニエルス(ジェーン・フォンダ)と同じアパートの1室を借り、彼女の部屋に盗聴装置を施し監視した。そんな彼女は、ずっと誰かに付けねらわれているような恐怖を感じていた。そしてその正体は以前彼女とサディスティックなプレーをした客ダンバーかもしれないと打ち明けた。ダンバーとはいったい誰か?
ダンバーを紹介したのがコールガールの元締めやってるロイ・シャイダー。そのロイ・シャイダーは、ジェーン・マッケンナという娼婦からダンバーを紹介されたというが、その娼婦はすでに自殺していた。失踪したトム・グルマン=ダンバーなのか?ジェーンという娼婦を殺してしまったから彼は失踪したのか?
しかし、調査が進むにつれて グルンマンとダンバーが別 人であることが判明。
グルンマンを取りまく人たちからの手紙を集め、タイプライターの活字をブリー宛の手紙と照合した。驚くことに、ケーブルのタイプライターの活字と合致したのだ。
ケーブルこそがサディスティックな性癖があり、トム・グルンマンは、たまたま娼婦をいたぶるケーブルの姿をみてしまい殺されたのだ。ジェーン・フォンダも彼に以前SMプレーを強要されたひとりであり、それに味をしめてケーブルは再びお願いしたいとおもっていたらしい。ケーブルは、ダンバーという架空の人物を犯人に仕立て上げ、それをクルートに暴かせることにより自分の犯罪の消滅させようとしていたのだ。


ストーリーはそんなものなのだが、アラン・J・パクラの映画はその社会のなかで目に見えない恐怖のなかで、生存のためにもがいている人間を描くことにあり、 ジェーン・フォンダのとりとめもない不安な怯えようがこの映画の味だと言える。そしてその見えない恐怖を描き足すゴードン・ウィリスの画面 が実に素敵。
主人公をとりまく社会が、主人公を押しつぶそうとするとき、それに反発する個人の力が私にとっては魅力的に映るのだ。アラン・J・パクラの描くものは、 フレッド・ジンネマン『ジャッカルの日』『ジュリア』)や絶好調時のシドニー・ルメット『セルピコ』『プリンス・オブ・ザ・シティ』『評決』)に似てる味わいがある。ただ、それぞれ監督によって結論づけは違っているようだ。
アラン・J・パクラの描く主人公は自分を捨て生存を優先させる。
シドニー・ルメットの描く主人公は自分を捨て切れない人間を描く。
フレッド・ジンネマンの描く主人公は意地でも自分を捨てない人間を描く。

ということで、善くも悪くも<見えない不安感>を十分楽しんでいただきたい作品である。 すくなくとも画面的にはとってもクールで素晴らしい。
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by ssm2438 | 2009-04-23 03:16 | ゴードン・ウィリス(1931)


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