西澤 晋 の 映画日記

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2009年 05月 29日

評決(1982) ☆☆☆☆☆

f0009381_2392075.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:デヴィッド・マメット
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:ジョニー・マンデル

出演:ポール・ニューマン
    シャーロット・ランプリング
    ジェームズ・メイソン

     *     *     *

社会派の巨匠シドニー・ルメットの登場である。先に紹介したアラン・J・パクラも社会派な監督さんだが、シドニー・ルメットは同じ社会派でもヒューマニズム的な社会派だといっていいだろう。
80年代後半からパワーなくなっちゃうんだけど、それまではとってもいい。そんなルメットの最後の傑作がたぶんこの『評決』。じつに見やすくいい感じで仕上がっている。もしルメットを観たことない人がいたら、たぶんこれが一番とっつきやすいんではないだろうかと思う。一番しんどいのはたぶん『プリンス・オブ・シティ』だろうなあ(苦笑)。
ルメットといえば、一番有名なのははやり『十二人の怒れる男』だろう。そして『未知への飛行』『質屋』『セルピコ』『オリエント急行殺人事件』『狼たちの午後』『ネットワーク』『ガルボトーク/夢の続きは…』『旅立ちの時』…etc。これらの名作、傑作のほかにも迷作、凡作もそこそこあれど、私にとってルメットの映画というのはなぜか馴染むのである。善くも悪くも演出スピリットが近いところにあるんだなあって思う。

いや~~~~~~、ルメットは好きなんだ。
人は誰もそれそれの理想をもっていて、それを求めて行きたいと思ってる。でも、ひとたび社会の一員となってしまうと、それはなかなか難しいものになる。たとえ、自分の理想がその社会の理想だとしても、自分の理想を押し通すことは組織の反発を招くことになるのが通例である。そんな状況のなかで、それでも、いつかは自分が自分の理想たる自分であろうとしなければならない時がある。その時がきたら、一度はきちんとヒーローとして輝こうよ。たとえその祭りがおわったらまた社会のなかにうずもれる普通の人々の一人にもどるのかもしれないけど、でも、その時だけは、キラキラな自分を生きてみようよ!っていう、なんかそんなスピリットがあるんだよね。

言葉で言うのはとっても容易いことだけど、自分を取り巻く組織の中で、自分の理想を演じるのはとてつもなく障害をそれを突破するエナジーが必要なのです。それでも社会のもつ方向性が、自分の理想とぴたりとはまる時がある。現在の社会からは抵抗を受けても、「今こそ自分はこれをやらなきゃいけないんじゃないか!」って時はその一歩をふみださなければならない。でないと自分の存在価値がなくなってしまう。
ルメットの描く主人公たちは、決してスーパーヒーローじゃないんだけど、ほかの時は社会の中にうもれてる一人なんだけど、でもその時だけどは、正しい自分であろうとがんばっちゃうんですね。そのときに自分をとりまく社会のあつれきに立ち向かっていく村八分ヒーローになってしまう。

ルメットの核はこの対村八分スピリットなのだ。
フィジカルなしんどさではなく、メンタルなしんどさ、それも社会が個性を押しつぶそうとするその圧迫感のなかで、それでもけなげに自分を生き抜くしぶとさ。これがすばらしい。ただ、これって見る側にはかなりしんどい。映画をみることで、<社会のなかでの自分の在り方>とも向き合わなければならない。絶好調時のルメットはこのしんどいところをがしがし描いていた。『セルピコ』とか『プリンス・オブ・シティ』なんてかなりしんどい。『プリンス・オブ・シティ』なんてほんとしんどよ。もし機会があったら一度トライしてみてください。自分の映画鑑賞力が問われると思います(苦笑)。
実はその映画鑑賞力というのは、とどのつまり、自分の弱さと正面切って向き合えるか?ということになる。その映画鑑賞力が弱ければもうアクション映画とかコメディとかパロディものしか観られなくなってしまう。

ルメットの映画っていうのは、鳥肌たつような感動的な終わり方をするわけでもないし、いかにもお話を盛り上げるいかにもの演出をするわけでもない。素人さんにはあまり向かない映画作りであるといえるだろう。しかしこの『評決』という映画は、そのなかにあってはかなりドラマ性もあり映画鑑賞力の弱い人でも観られる映画であり、なおかつルメットカラーもよくでていて実に見やすいルメット映画だと思う。

 <あらすじ>

ひるまから酒浸りのおちぶれ弁護士ギャルビン(ポール・ニューマン)。そんな彼を見かねた彼の良き理解である老弁護士ミッキーが、示談で終わらせそうなある事件をもってきた。その事件とは、出産で入院した女性が、麻酔処置のミスで植物人間になってしまったという、医療ミス事件だった。披害者の姉夫婦が、その病院と担当の医師2人を訴えたのであった。
訴えられたのは大病院の麻酔科の権威、同僚の医師に面会しその経過をきくと完全な医師のミスであるらしい。訴えられた聖キャサリン病院は、カソリック教会の経営で病院の評判が傷つくことを恐れ示談を申し出た。補償金頷は21万ドル。誰もが示談を望んでいた。被害者の姉夫婦も家庭の事情である程度の大金が必要であり、病院側もことを大げさにはしたくない。ギャルビン自身も裁判になってほんとに勝てるかどうかも判らない。ギャルビン自身も示談をのぞんでいた。‥‥はずだった。

「気になったのだですが‥‥、21万という数字はぴったり3で割り切れる。つまり7万は私のところに‥‥」
「保険会社がそのようにしろと‥‥」
「わかります‥‥」
「‥‥あの女性はもはや人の力では救えない」

 <しばしの沈黙>

「‥‥真実が葬られる」
「何の真実だね?」
「彼女は、2人の医師に命をあずけ、昏睡状態になり、死んだも同然だ。
 家族も失い、機械につながれ、友達もいない‥‥。
  味方になるべき人間は、医師も‥‥、あなたも私も、お金で問題をかたづけてそっぽむこうとしている」
「‥‥」
「今日は金は受け取りにきた。彼女の今の状態の写真もとってきた‥‥。
 ‥‥ お金は‥‥受け取れない‥‥」

こうして誰もが望まなかった裁判が始まる。
そんなポール・ニューマンが、シャーロット・ランプリングにこんなことを語っている。

 ポ 「弱者だよ‥‥、彼らを守る人間が必要だ。そうだろう?
    法廷は弱者に正義を与える場ではない。正義に挑戦する機会をあたえるだけだ」
 シャ「弱者に出来る?」
 ポ 「その気になれば‥‥」
 シャ「‥‥」
 ポ 「陪審員はそれが可能だと信じたがっている。彼らを観れば判る。
    “裁判なんか信用出来るか”って思ってる連中が 一歩陪審席に入ると目つきがこう語りはじめる。
    ‥‥もしかしたら、‥‥もしかしたら?」
 シャ「もしかしら‥‥なんなの?」
 ポ 「もしかしたら、‥‥自分にもなにか正しいことが出来るかもしれない‥‥」
 シャ「あなたもそれをするつもりなの?」
 ポ 「だから法廷に立つ‥‥」

しかし、医療ミスを証言してくれるはずの彼の同僚の医師は、被告側弁護士の工作で姿をくらましてしまう。社会の通例に背く行為への戒めがギャルビンに忍び寄る。裁判が始まると最強の弁護士軍団をかかえる被告側に道理はことごとくねじまげられていく。はたして裁判の行方は‥‥。

by ssm2438 | 2009-05-29 01:29 | シドニー・ルメット(1924)


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