西澤 晋 の 映画日記

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2009年 05月 27日

2010年(1984) ☆☆☆☆

f0009381_3103048.jpg監督:ピーター・ハイアムズ
原作:アーサー・C・クラーク
脚本:ピーター・ハイアムズ
撮影:ピーター・ハイアムズ
特撮:リチャード・エドランド
音楽:デヴィッド・シャイア

出演:ロイ・シャイダー
    ジョン・リスゴー
    ヘレン・ミレン
    ボブ・バラバン
    ケア・デュリア

     *     *     *

『2010年』、世間ではけっこう酷評されることも多い作品ですが、私は『2001年・宇宙の旅』よりも好きなのです。・・しかし考えてみるとあと1年で2010年だよ。はや。‥‥てなわけで、今回はこの映画の登場。だれもが知ってるキューブリックの『2001年・宇宙の旅』の続編である。アーサー・C・クラークにしてみれば前作があんなになっちゃったので彼なりのリベンジっていう意味もあるかもしれない。
決して前作が失敗作とは思えないけど、私としては「あれはあくまで原作『2001年・宇宙の旅』のプロモーションビデオだ」と理解している。プロモーションビデオとしてはとってもよく出来てると思うが、原作の映画かどうかというと??? 決して否定的な見方はしないんだけど、かといって肯定的な見方ができる作品とも思えないし‥‥。

原作は『2001年・宇宙の旅』『2010年』『2061年・宇宙の旅』と続き、最近『3001年終局への旅』が出版されているが、一番読み心地がいいのが実は『2010年』だったりする。アーサー・C・クラークもなんだか楽しんで書いてる。この作品のなかでは、彼のオプチミスティックな世界観と、全てを包み込むような暖かいスピリットが宇宙を縦横無尽に飛び回っている。それこそが彼の作品のコアだと思うだけど、映画の『2001年・宇宙の旅』にはそれが感じられないのだ。そんなわけでクラークファンとしてはどうもイマイチよいしょ出来ないというか‥‥。
その点この『2010年』は、スピリット的にはとっても作者の魂を描いてる。個人的はもっと牧歌的な、過去の因縁などの地上の風景などを全面に押し出した、SFに見えない作品仕立てにも出来たんじゃないかとさえ思ってしまう。ピーター・ハイアムンズのこの映画も好きなのだか、もしかしたら『ガタカ』みたいな作りも出来たのではないかなって、ちょっと自分で思い描いて楽しんでたりする。

アーサー・C・クラークという作家は、どうしても知らない人にしてみれば『2001年・宇宙の旅』をイメージしてしまうので冷たいスピリットの人って思われるかもしれないが、実は全然逆なのである。彼の著書をよんでみるとどれも全ての生命に対して暖かいまなざしをもっている。物語の中に「悪」を登場させない作家さんともいえる。エンタテーメンと作品としてはどうしても「悪」の存在を必要とするものだが、彼の作品にはそれがないのである。別な言い方をすれば「悪」を登場させる作品はすべてエンタテーメンとだと思っていい。それは映画ドラマにかぎらない。宗教でもそうである。「悪」=「悪魔』を登場させる宗教はある意味既に宗教を脱してエンタテーメンとに堕落したと云っていい。本物の宗教はきっと「悪」を語らないものなのだろう。
そういう意味でアーサー・C・クラークっていうのはある種の宗教だといっていい。<広がるスピリットへの信奉>なのだ。
私は実に好きなのである。。。

そして監督のピーター・ハイアムンズ
彼は撮影監督あがりの監督さん。私の中ではハイアムンズ=『カプリコン1』っていう印象だけど、よくも悪くもきっちり仕上げて来る監督さん。シナリオが良ければしっかりとしたものが上がって来るし、悪くてもそこそこのものが上がって来る(苦笑)。目立つために突飛な演出などせず、きわめてステディに仕上げて来る。大ブレイクはないのだが、出来上がったフィルムは無難なものが期待出来る職人肌の監督さんである。好感はもってるほうかな。


 <あらすじ>
あれから10年。ディスカバリー号の計画責任者で元アメリカ宇宙飛行学会議議長のヘイウッド・フロイド博士(ロイ・シャイダー)、HALの生みの親チャンドラ博士(ボブ・バラバン)、ディスカバリー号を再生させる訓練を受けたエンジニアのカーノウ(ジョン・リスゴー)の3人は、ソビエトのレオーノフ号に乗り込み木星へと向かった。HALの反乱はなぜ起きたのか? ボウマンはどこへ行ったのか? そしてモノリスを作った製造者はいったい誰で何の目的なのか??
物語では<大いなる意思>が木星を第二の太陽とし、エウロパにおいて生命を進化させようと試みる、その傍観者として<無知なる人>が描かれている‥‥はは、あらすじが終わってしまった。

でも、それではせつないので原作にはあるのだが、映画でカットされたエピソードをちょっと紹介しておこう。原作ではレオーノフ号にさきだって中国の宇宙船 ◯◯が先行して木星に向かう。彼らは先にエウロパに到着してなにやら調査をしてると地殻変動によって宇宙船が座礁。その地殻変動は実は氷の下に生存っしていた巨大生物のしわざだった。一人の研究者をのこして他の乗組員は死んでしまうが、彼は研究者スピリットを発揮して「エウロパには生命がいる」と宇宙に電波を命の限り発信し続ける。
ここがけっこう泣けるんだ。

そして、最後、チャンドラーがHALに自滅へのミッションをつたえる時。
泣けるんだ。ここは映画のほうが泣ける。
もちろんHALはコンピュータだから命令が与えられればそれに従うのだけど、従わないケースが前回提示されてるので、ほんとにすれが受け入れられるのかどうかは半信半疑の状態。そこにHALを一人の人格として接するチャンドラーの態度がなんだとっても切なくていいんだ。今の時代、よくみたエピソードの一つなのだろうが、なんだか当時みたときはぐぐっときてしまった。

この物語を読んで、見て、つくづく思うのだか、
感動する‥‥ってことは「伝わる」ってことなんだなあって思った。
想いが伝わる。祈りが伝わる‥‥。
それが描ければドラマは感動するものになる。

by ssm2438 | 2009-05-27 03:06


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