西澤 晋 の 映画日記

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2009年 02月 27日

ポストマン(1997) ☆☆☆

ポストマン(1997) ☆☆☆_f0009381_5503087.jpg監督:ケヴィン・コスナー
原作:デヴィッド・ブリン
脚本:エリック・ロス
    ブライアン・ヘルゲランド
撮影:スティーヴン・ウィンドン
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

出演:ケヴィン・コスナー
    オリヴィア・ウィリアムズ
    ラレンツ・テイト
    ウィル・パットン

       *       *       *

もうすこしなんとかすれば、超名作になっていたい作品。ポテンシャルがあった物語だけにちょっと惜しい。
当時ケビン・コスナーバッシングが吹き荒れてたときだったのでやたらとラジー賞もいくつかもらってしまってはいるが、ストーリーの基本と映画のアレンジのいくつかのパートは実に絶賛できる。ただ、いただけない部分もかなりある。とくにラストの15分くらいはコスナーのええカッコしーなのがかなり鼻につくのだが、世間でいわれているのど悪くはない。ぜひ一度素直な気持ちでみてあげてほしい。

この物語のポイントは「コミュニケーションが社会を浄化していく」というころ。中国や北朝鮮でもネットの規制がなくなれば権力者にとっては不利益なことかもしれないが、国民にとってはもっともっと素晴らしい国としては浄化されるだろう。

<あらすじ>
物語は第三次世界大戦がおわって10数年がったったアメリカ。そこでは平均寿命が30歳ていど、50歳もいきれば長寿だとされるような世界(原作の記述より)。そしてガソリン機関使えるなくなり、交通手段は馬にたよっていた。コミュニティとコミュニティの間にはサバイバリストと呼ばれる略奪者がはびこり、コミュニティの塀の外にはほとんどの人はでたがらないし、入ってこようとする人もほとんどの場合はうけいれられない。
そしてサバイバリストとよばれるなかでももっとも勢力を誇っているのが指導者ベスリヘム将軍(ウィル・パットン)が率いるホルニストと呼ばれる集団。彼らは村々襲ったり、脅したりして金品やら食料・女を奪っていく。

この物語の主人公ゴードン(ケビン・コスナー)はもうすぐ雪にとざされようかという秋の終わりのオレゴンの山の中をさまよっていた。寒さで震えるなら一台の朽ち果てた、以前は車と呼ばれていた鉄くずをみつけて宿をとる。運転席には郵便屋=ポストマンのジャンパーを着、郵政省の帽子をかぶった白骨が眠っているだけだ。そのジャケットを拝借し、近くにあった手紙を燃やして暖をとるゴードン。
この手紙を燃やすという行為にはかなり抵抗感を感じた。それだけ素晴らしいシーンだと関心したが、原作ではこのような描写はなく、コスナー自身が付け加えたのだろう。<グッジョブ!>である。

ポストマンのジャンパーを着込んだゴードンは、手紙のはいったバッグをもってパインビューと呼ばれている村に寄る。「復興合衆国政府のポストマンだ。アイダホ州とオレゴン州南部に郵便ルートを確立するために任命されてきた。手紙もある」と張ったりをかますゴードンだったが、「どうせどこかで昔のポストマンの征服をみつけたんだろう、うせろ!」と銃をむけられる。
まさに図星なのだがとりあえずバッグのなかの手紙の宛名を何人か読んでみる。だれもそんな人物はいない。人生そんなにラッキーには出来てないなとおもっている
「それは私の旧姓よ」と一人の老婆が名乗り出る。
集落に入れてもらえたゴードンは希望の象徴としてみんなにもてはやされる。
「アメリカ政府は再生しかけているが、まだここらあたりまではその影響力はとどいてこない。だが徐々に秩序は回復しつつある」とありもしないでたらめをそれらしく語る。それは途方もない嘘のように思えたが(実際そうだが)、村の人たちにとっては嘘でも信じてみたいなのだ。

夜になるとアビー(オリヴィア・ウィリアムズ)がベッドにはいってくる。彼の夫は若いときの病気で精子がよわっているとかで子供が出来ないというのだ。すぐいなくなる人から子種をもらいたい申し出る。それは夫とも話してきめたことらしい。戸惑いながらも夜をともにするゴードン。

出発前日、「君が行きたいのはあそこだろう」とある場所を教えてもらうゴードンだが、なんのことかさっぱりわからない。その場所にいってみるとくもの巣にまみれた郵便局がそこにあった。
そこでフォード(ラレンツ・テイト)と名乗る青年にである。彼は自分もポストマンになりたいと志願してくる。どうしたらなんれるのか?と言われて、「宣誓をし、ポストマンがその人をポストマンに任命すればなれる」とその場とりつくろい、郵便局ないに掲げられたシンプルな言葉をその誓約の言葉にした。
「雨にもまけず、風にもまけず、郵便配達人はその使命をまっとうする」・・と。

しかしその村もホルニストに襲撃をうけアビーの夫は殺され、アビーも性欲処理の女として首に縄をかけられ引き立てたれる。ゴードンはそれ以前に逃げ出していたのだが、いたたまれずに戻ってきてアビーを奪い逃げる・・が、そのとき発砲をうけ重症をおう。

ホルニストからの逃走のすえ、アビーとゴードンは運良くみつかった山小屋でひと冬を越すことになる。怪我をして狩もできないゴードン、しかたなくアビーは自分たちの馬を撃ち殺して食料とする。
このあたりのアビーの描写はかっこいいのだが、時間を考えるとこの一連の冬山越えのエピソードはカットしてもよかったのではと思われる。なんか無理やりヒロインの出番をつくってやったという印象がどうにも鼻につく。それにこの映画長すぎる。

冬があけ、山から下りてくると馬に乗る少女に出会う。彼女はみずからをポストマン=郵便配達人と紹介した。彼女についていくとそこではフォードの指揮のもとに郵便配達機構確立されていていた。社会のなかにおける郵便という機構がその細胞を広げ、活動範囲を広げていくように、自然進化をとげているのだ。近くの村々から集まった志願者たちは、かつてゴードンがフォードにつげたあの宣誓をしてポストマンとなり、各方面へ手紙を詰め込んだかばんをもち馬を飛ばしていくのだった。

かつてゴードンがもらした口からでまかせが、人々の希望を栄養として、その社会細胞を再構築しはじめる。ほとんどコミュニケーションのなかった村と村が郵便でつながり、さらなるルートの拡張をめざして未知の地域にひろがっていく。そこでもまた新しいポストマンが任命され彼がたま新しいルートを切り開く。
素晴らしいコンセプトの物語だ!!!

映画ではこのあとホルニストがこの郵便配達人たちを襲撃するようになり、ゴードンを伝説のポストマンと祭り上げた郵便配達人たち武器を持って彼らに報復をするようになる。やがて両陣営が対峙するなか、ゴードンとベスリヘムは中央にすすみでて一対一の戦いをすることになる。

残念ながらこのあと、この物語はぼろぼろ崩壊していくのだが、それでも物語の基本構成は素晴らしく、限りない名作になる可能性を秘めていた作品なのだ。もっと別の形でこの物語が映画化されていれば・・と悔しい思いもする。
原作では筋肉組織改造人間とかでてきて、敵味方の陣営のスーパーマンどうしての殴り合いとかになり、普通の人間のゴードンは傍観者になってたりと、いまいち興ざめする展開になっていたりする。
なので、ケビン・コスナーがこころみた映画としての物語の再構築はかなりセンスがよくまとめられているといえる。

by ssm2438 | 2009-02-27 03:43


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