西澤 晋 の 映画日記

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2009年 03月 09日

赤い天使(1966) ☆☆☆☆☆

赤い天使(1966) ☆☆☆☆☆_f0009381_12561183.jpg監督:増村保造
原作:有馬頼義
脚本:笠原良三
撮影:小林節雄
音楽:池野成

出演:若尾文子
    芦田伸介

        *        *        *

日本の映画監督のなかで誰が好きかときかれたらこの増村保造をあげる。東京大学法学部を卒業後大映の助監督になるが、東京大学文学部哲学科に再入学。その後イタリア留学、フェデリコ・フェリーニルキノ・ヴィスコンティらに学ぶ。帰国後、溝口健二市川崑の助監督として参加。1957年、『くちづけ』で監督デビュー。おそろしくインテリである。生き方も素敵だが撮る映画も素敵だ。

増村保造のすごいところはいろいろあるのだが、そのひとつは<突き抜けているところ>
普通の人ならそこでブレーキをかけるのだが、この人は突き抜けているのだ。常人が持つ心の壁や既製概念を突破してしまっている。その突き抜け感が爽快感になるのだ。
もうひとつは<いさぎよさ>。増村保造の映画にでてくる登場人物はとにかくいさぎよい。それがまた気持ちがいい。潔さ=覚悟といってもいいかもしれない。
この『赤い天使』という映画は、まさにその<つきぬけ感>と<いさぎよさ>が存分に発揮された映画といえるだろう。

日本映画というとどうしても人情じめじめというイメージがあるが、この映画にはそれがない。いさぎよさとかっこよさ。いさぎよさ=かっこよさかもしれない。日本人の男がかっこいいと思える映画というのはあまりないのだが、この映画の主人公の若尾文子芦田伸介も実にカッコいいのである。

<あらすじ>
昭和14年、西さくら(若尾文子)は従軍看護婦として中国天津の陸軍病院に赴任した。内科病棟の担当になった彼女はその数日後、消灯の後の巡回中、坂本一等兵(千波丈太郎)に犯されてしまう。翌日そのことを婦長に話すと「これで3人目よ」と言われる。それを機に坂本一等兵は戦地に戻される。
・・・すごい。レイプされたことはそのままさらりと報告され、さらりと処理される。そんなことで文句もいわない。覚悟が出来ているのだろう。一般的価値観で動くのではなく、自分のなかであるべき姿がすでに構築されていて、その価値観で彼女は動いている。それがカッコいいのだ。

二カ月後、西さくらは前線後方の分院に転属となった。そこでは軍医の岡部(芦田伸介)の指揮の下で寝る間のなく手足の切断手術が行われていた。輸血用の血液も不足しており、特別な状況でなければ許可されていない。麻酔も十分ではない。そんな状態で負傷した兵を破傷風から守るには負傷箇所の切断しかない。樽に何本もの足の裏が詰まっている絵。

「出血がひどい、たすからん。つぎ」といい見捨てる岡部、その患者はかつて西さくらを天津の病院で犯した坂本だった。助けてくれとすがりつく坂本、「あの時は悪かった」とさくらに懇願した。
無理を承知で輸血をしてやってくれ岡部に申し出るさくら。
お前が私情をはさむなら俺もはさむぞとばかり「判った、輸血はしてやる。そのかわり今晩俺の部屋に来い」、「判りました」・・のやりとり。
結局輸血はしても坂本は死に、他の衛生兵には「大切な血が無駄になったな」と嫌味も言われるさくら。

その夜「坂本一等兵は死にました」と岡部の部屋を訪れる西さくら。
「もし生きていたらそのほうが不思議だ」と言い放つ岡部。
死ぬと判っていてなぜ手術をしたのか?とたずねるさくらに、
「たまに医者をやってみたくなった」と答える岡部、
「ここではカタワにするか、見殺しにする、その線引きしかできない俺が医者といえるか」と。

「服を脱いでこっちへ来い」とベットにさそう岡部。
看護婦の制服をぬぎ、スリップ姿になってベットに座ると「名前はなんという?」と岡部。
「西さくらです」と答えるさくら。
「もし長生きをしたら、妙な名前だな」と冗談にもならない冗談をいう岡部。
「好きな名前です。名前にふさわしい生き方をしたいと思います」と答えるさくら。
・・このあたりでもうぞわぞわっときてる自分がいる。

「もうすぐ朝だ、モルヒネをうってくれ」と注射を頼まれる。
「眠るまでそばにいてくれ」といって眠りにつく岡部。さくらもベットのわきの机につっぷして寝てしまう。

いい台詞、いいシーンなのだ。「たまに医者をやってみたくなった」というのも素敵だし、
「好きな名前です。名前にふさわしい生き方をしたいと思います」も素敵だ。
「眠るまでそばにいてくれ」とわがままをいってしまうのも素敵だ。

さくらが目を覚ますと、自分が岡部のベッドで裸で寝ていて、岡部は仕事をしている。
「もう10時間も眠っていた。医局には、今日の西は体調がわるので休むと伝えてある」と岡部。
「私に何かなさったのですか?」と毛布で胸をかくしながら言うさくら。
「何かしようにも出来るわけがないだろう」とはき捨てる岡部。

なぜ裸だったのか・・という答えはここでは出されていない。私個人の考えではやはり岡部がさくらの裸をみたかったから脱がせた・・のだと認識している。彼はストレスとモルヒネの常用でもう起たないことになっているのだけど、でも見たかったのだと思う。


そのあともドラマはどんどん悲惨な状況におちいっていくのだが、それぞれの状況下で西さくらと岡部は自分の価値観を貫き通していく。
・・・とにかく全編とおしてカッコいい映画だ。
自分には自分の価値観がある。自分には自分の使命がある。自分には自分の欲望がある。自分には自分の弱さがある。これらをきちんと認識して、そのなかでどうするべきなのかをきちんと判断し実行していく。その姿が実に誇らしく、カッコいいのだ。

by ssm2438 | 2009-03-09 12:55 | 増村保造(1924)


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