西澤 晋 の 映画日記

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2009年 06月 13日

ライトスタッフ(1983) ☆☆☆☆

f0009381_14582162.jpg監督:フィリップ・カウフマン
脚本:フィリップ・カウフマン
撮影:キャレブ・デシャネル
音楽:ビル・コンティ

出演:サム・シェパード
    スコット・グレン
    フレッド・ウォード
    エド・ハリス
    デニス・クエイド

        *        *        *

この映画、万人視点からみるとちっともいい映画ではない。☆ひとつでもいいくらい。しかし映画として出来が悪かろうが、面白くなかろうが、見るべきモノがいっぱいつまっている映画なのだ。
余談ではあるがデビット・リーンが同じテーマの『超音ジェット機』という映画をとっている。これも音速の壁を破ろうとした男たちのドラマだ。

映画として面白くないのはどういうことか? それは一言にでいってドラマがないということだ。通常のフィクションのドラマは、主人公がいて、主人公にはひとつの大目的があり、それを妨げる環境やらライバルがいて、時間経過とともにさまざまな障害を突き抜けつつ、その代償として自分のあまり大事なものでないものから捨てていき、最後に大事なものをのこしつつ、目的を成し遂げる・・というもの。
しかしこの映画には主人公というものが特定できない。複数いるのだ。複数いるとそれぞれのドラマがそこに存在することになるのだが、その結果、映画としての一本気なドラマにはならなかった。
そしてこの映画がドキュメンタリーにもなりきってない。それぞれのシーンでやっぱりドラマ的に見せているため、ドキュメンタリーとしてのストイックさはない。
そんなわけで映画としてもまとまりはきわめて乏しい映画だといえる。

・・・しかし、それが分っていても余りあるすばらしい点がある。
総合的に見て感動するのは、進化めざす人たちのスピリットの美しさ! さらに高く、さらに遠くへ、さらに速く・・、それをめざすスピリットの総合体としてこの映画は存在する。それが見終わったとき感動をさそう。

そしてその画面を高品位にたもちつづけたキャレブ・デシャネルの力。これはすばらしい! キャレブ・デシャネルは『チャンス』で見事な画面を見せてくれたが、それは家の中の画面のすばらしさで、このように家の外を撮る画面はどうなんだろうとおもってたのだが、そんなことはお構いなし。総て素晴らしい。コントラストがいいのだろう。ゴードン・ウィリスみたいにマニアックなまでに黒く落としすぎることもなく、しかし圧倒的な画質を表現してくれる。色がダイナミックにもかかわらず、品性があるのだ。まさにこの映画にはうってつけの撮影監督だったといえる。

ビル・コンティの音楽もいい! ハンス・ジマーだとどうしてもドラマッチにカッコいい音楽になるような気がするが、ビル・コンティの場合はマーチ的なかっこよさになるんだよね。

あと、イエーガーに関して一言書き添えたいが、この映画に登場するイエーガーをカッコいいとする風潮はあるようだが、個人的にはあまりそう思っていいない。
政府がマーキュリー計画に参加するパイロットとしてスカウトしているときにチャック・イエーガーは大学を出ていないということで<脚きり>にあっている。しかし彼はかれの分野で進化をめざしていく。
宇宙パイロットとジェット機のパイロットではリスクマネージメントの質が違うのでイエーガーをはずした政府の判断は正しい思う。そのときイエーガーは宇宙パイロットはモルモットだといい、この計画への興味のなさを表現しているが・・・はたして何処まで本当だったのか。
もちろんこれは現実の話をベースに描かれているのだが、私個人が主人公を創作できるとしたら、選抜で脚きりにあったイエーガーの悔しさを描きつつ、大学への猛勉強をさせ、資格を取り、マーキュリー計画の次のジェミニ計画あたりに参加させ、ミッションの成功ののち、それでも地上にもどってジェット機としての最速記録に挑む・・って展開にしちゃうかな。
本作品のイエーガーは悔しいくせに悔しくない振りをして、それまでの自分を肯定するためにもがいたようなきがする。


能条純一『月下の棋士』のなかにある言葉だけど

「男だったら悔しがれ!」

・・・これだは。負けたのなら悔しがらないと。
負けて、悔しがらないと、自分をとりまく世間のほうを否定するようになり、まけた自分の過去を可愛がってしまう。そうなったら進化は止まる。これがイエーガーというキャラクターのなかに見えてしまった。

by ssm2438 | 2009-06-13 14:58 | C・デシャネル(1944)


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