監督:キャメロン・クロウ
脚本:キャメロン・クロウ
撮影監督:ジョン・トール
出演:パトリック・フュジット
ケイト・ハドソン
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なんでもアカデミー賞の脚本賞をとったとかで、当時劇場に足を運んだ映画でしたが・・・、私的には全然面白くなかった。そのむかし
『セイ・エニシング』というこの監督さんの映画を見たときもぜんぜんぴんとこなかったのを思い出した。
『初体験/リッチモンド・ハイ』は
フィービー・ケイツの健康的なおっぱいしか覚えてないし・・(苦笑)。
私は無責任なバカ騒ぎというのが基本的にきらいで『黒猫白猫』もその系統で嫌いだったのだが、この映画のバンドの連中にもまったく共感を覚えない。生理的に好かん人種なわけだ。で、こういうのにあこがれるとうい
キャメロン・クロウも私に言わせれば自分にあまあまな人間のような気がする。
『セイ・エニシング』でこいつはダメ監督だ烙印を押してしまったのだが、アカデミー賞とったということもあり復活のチャンスをあげたのだが、やっぱりダメだった。
1973年、15歳の少年ウィリアム(
パトリック・フュジット)は学校新聞などにロック記事を書いていたが、どういう段取りだったか忘れたが、某有名音楽雑誌から誌からも声がかかり、新進バンドのスティルウォーターのツアーに同行し、記事を書かせてもらえることになった。ツアーはバスで移動し、その中にはバンドのメンバーとそのおっかけ少女たち=グルーピーが同乗していた。そのひとりペニー・レイン(
ケイト・ハドソン)に憧れを抱いていたのだが、彼女はスティルウォーターのギタリスト、ラッセル(ビリー・クラダップ)と付き合っていた。NYでラッセルの本命の恋人が現われたため、ペニー・レインは睡眠薬で自殺を図る。ウィリアムの助けで彼女は一命を取り止めるが、それはお祭り騒ぎの終焉を意味していた・・・。
好きな女のひとの精神的な助けになってあげられることは男としてはとっても気持ちいいことであり、この映画はそれがちょっとだけ出来た小さな幸せ感がいっぱいの映画だったのだろう。
<他人の不幸は私の幸せ、特に好きな人の不幸は私の幸せ>の法則である。