西澤 晋 の 映画日記

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2009年 09月 24日

まごころを君に(1968) ☆☆

f0009381_22474811.jpg監督:ラルフ・ネルソン
原作:ダニエル・キイス
脚本:スターリング・シリファント
撮影:アーサー・J・オーニッツ
音楽:ラヴィ・シャンカール

出演:クリフ・ロバートソン
    クレア・ブルーム

        *        *        *

原作はダニエル・キースの名作『アルジャーノンに花束を』。まだ読んでない人は、死ぬまでに一回は読みましょう。魂が震えます。

原作がいいので映画はダメだろうって思ったらまったくダメだった。すこしはきたい裏切ってほしいものだ。とはいっても小説を読んだのはもう25年以上もまえのこと、映画を見たのも20年くらい前のことなのでかならりうるおぼえなのだけど。そういえばマシュー・モディン主演でも作られましたね。あれも見ましたが、あれもいまいちでした。原作が名作過ぎるとなかなかいい映画にならないですね。ちなみに原作は☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆くらい。名作すぎる名作。

根本的な間違いは、科学批判・体制批判に振れすぎた点。確かに時代はベトナム戦争やってたり、学生運動やってたり、映画はアメリカン・ニューシネマの時代だし、そっちに振れてしまう時代だったののは理解できるけど、この物語の本質はそれじゃないはずなんだけど。
この物語のコアなテーマは純粋な進化への気持ち。一旦は手術でお利口さんになったけど、また逆戻り、でもチャーリーはッ養護施設にいくまえの経過報告のレポートにこんなことを書いてます。原作の最後から2ページ目くらいだったかな、

「本を2~3冊もっていくつもりです。
 今はまだ読めないかもしれないけど、
 一生懸命勉強して必ず読めるようになるつもりです」って。

この映画だと、知能が低かったと筋チャーリーを誰が不幸だっていえる??ってとこをいわんとしてるようですが、やっぱり不幸だったよ。だって本人が賢くなりたいと望んでいたんだから。そりゃあ知識が増えれば心配事も増えるもので、だたからといって知能が低い時の補遺がいいなんていえるわけがない。こういう安易な捕らえ方をされるとかなり頭にきますね。
それに原作のエピソードをもっとも重要なポイントの母親に会いに行くところはない。お利巧さんになってからのチャーリーのエピソードとして主なイベントは4つ。

1、母を思い出していくところ。産んだ子が障害者だったので、それを信じたくない母親はかなりつらくチャーリーにあったっていて、そんな姿を見たくない父親は愛想付かして出て行った。そんな母との思い出をだんだんと思い出しつつ、「僕はうらんでなんかないからね」って伝えたくて愛に行くのに、結果として母を苦しめるだけになってしまった。

2、アリス・キニアンとの恋愛。知能が回復するにしたがって性欲とか妄想するということもでてきて、その恋愛対象が彼女。知能が下がっていく時になってはじめてセックスを体験する。

3、知能が上がった状態で、いろいろと学会にはっぴょうすることもある。同時にあるジャーノンの衰退を目にし、自分もやはり知能が元にもどっていくことへの不安をおぼえる。

4、アリス・キニアンとセックスするまえに、近場の女とセックスを覚える。俗世間的な生活に触れるということ。

個人的には一番せつなかった父親の散発やにいくシーンがけっこう好きだけど、まあ、これは抜かれても仕方がないのでいいんだけど、ただただお利巧さんになって、優先するべきは母との確執をなんとかしたいってことが一番重要だったと思う。なのにそれを削って社会の体制批判だけにもっていってしまったこの話は、原作知ってる人にしてみれば納得いかない。

まあ、そうはいってもとりあえず最低限度のみてくれだけはととのえてる映画ではあるけど。。。

by ssm2438 | 2009-09-24 22:53


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