西澤 晋 の 映画日記

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2010年 03月 10日

野いちご(1957) ☆☆☆☆☆

f0009381_23565468.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:グンナール・フィッシェル
音楽:エリック・ノードグレーン

出演:
ヴィクトル・シェストレム (イサク・ブログ)
イングリッド・チューリン (義娘・マリアンヌ)
グンナール・ビョルンストランド (息子・エーヴェルド)
ビビ・アンデルセン (サラ/ヒッチハイクの少女)
ジュリアン・キンダール (家政婦・アグダ)
グンネル・リンドブロム (シャーロット)
マックス・フォン・シドー (ガソリンスタンドの男・アカーマン)

        *        *        *

ラストの「・・・鍵はかけないでおきます」

・・・これがいいんだ。これですべてが救われる。受け入れられるということ。すばらしい。こういう受け入れてもらえる人というのをもてることが人生のすべてかもしれない。

そのまえのビビ・アンデルセンの「イサク、私はあなたが好きよ。今日も、明日も、ずっと・・」

これも、じいいいいいいいいいいんときたなあ。

ベルイマン映画のなかで唯一見て幸せになれた映画。ベルイマンにしてはとてもやさしい映画だ。ぐりぐりどろどろのベルイマンの映画の中にあってこれだけ人をやさしくつつむ映画があったとは・・。見直してみて再確認した。すごい。これ、歳をとてからみるれば見るほど、どんどんやさしが染み込んでくる映画だ。


この物語はベルイマンにしては珍しくロードムービーである。あ、『第七の封印』も考えて見ればロードムービーかもしれないが・・。
医者のイサク(ヴィクトル・シェーストレム)は76歳になり、50年にわたる医学への献身によって、名誉博士の称号をうける式典に出席することになる。息子エーヴェルドの妻、マリアンヌ(イングリッド・チューリン)がその会場までおくってくれる。そのとちゅう、青春時代をすごした家にしばしよることした。そこは野いちごがみのっていた。野いちごを摘む可憐なサラ(ビビ・アンデルセン)のイメージがうかびあがる。彼女はイサクのフィアンセだったが、弟に寝取られてしまう。その後、別の女と結婚したのだが、彼女も他の男と浮気をしてしまう。かといってなにも言わなかったイサク。

このイサクという人物、多分ひたすら現実と戦うことを裂けてきた人なのだと思う。好きな女がいて、長年のつきあいからフィアンセという立場になってはいたが、彼女がうばわれようとしているとき抵抗もしなかった。たぶん現実的な問題として考えるなら、女が別の男を好きになったらそれはもう終わりだと思うが、そんなことはどうでもいい、自分の本心を表現するということをしなかった。みっともなくても求めることをしなかった。それを行動として表現しなかった。たぶん彼の人生はずうっとそんな感じだったのだろう。
物語の冒頭でのべられるように、彼が「人生がむなしい」と思うことは、彼が彼の心を表現しないまま、終わろうとしているからだ。

f0009381_23581154.jpgここから3人の若者を同乗させることになる。その一人がサラに似ている。この時点では彼らとのイベントはさほどあるわけではないのだが、名誉小を受賞した後、彼らがイサクを訪問し「おめでとう」って言ってくれる。それがまたいいんだ。特にその一人がサラに似てるとこうことが、喜びをほんのすこしだけプラス・アルファしてくれる。もっとも同じビビ・アンデルセンが演じているのだから似てるはずだ。

彼らは廻り道をして、96歳の老母を訪ねる。彼女は他人にも自分にも厳しく、親族は誰も寄りつこうとしない。死さえも彼女をさけているようだ。ここでベルイマンがいつも登場させる高圧的支配者キャラを登場させている。彼女の影響下で感情を抑えることになれてしまったのだろう。
そしてその姿勢は息子にも受け継がれていることを、義娘・マリアンヌから聞かされる。マリアンヌは妊娠したが、夫の(イサクの息子)のエーヴェルドは産む事に反対した。エーヴァルドは自分がイサクの息子なのかどうかも疑っていた。そしていつも喧嘩をしていた父と母をみて育った。そんな環境になることがわかっていて子供は持ちたいとは思わないという。
このシーンに先駆けて、3人の若者をのせたあと、一組の夫婦を乗せるエピソードがある。お互いささやかにののしりあい、相手を貶めることで自分を肯定しようとしている夫婦。マリアンヌが「降りてください」といって車を止める。夫婦はささやかに礼をいって降りていく。あの時なんでマリアンヌがあんな態度に出られたのか・・っと思ったら、ここでその心情が語られてる「未来の私たちを見たくなかった」。
それはきっとイサクの過去でもあったのだろう。

マリアンヌを通して息子の想いをしらされたイサクはさらにめいってしまう。

彼にとって仕事とは現実からめをそらすための言い訳でしかなかった。悔しい時に悔しいともいえず、だから仕事に没頭することでそれから逃げてきた。悔しい時に悔しいといえない人間は、嬉しい時も嬉しいといえないものだ。そしてそれも多分彼の人生のなかにはなかったのだろう。その結果として与えられた今回の名誉賞。それにどれだけの意味があるのか・・・・。
しかしそれは幸せなイベントも引き寄せてくれた。先に出会った若者3人が会いにきてくれたのだ。ビビ・アンデルセンの面影を垣間見ることもできた。そして最後、ずっと世話をしてくれている家政婦のおばちゃんに

「もう長年の付き合いだから、名前で呼んでもらえんかね」と言うと
「いいえ、先生は先生です。つつしみは必要です」と返される。ちょっと寂しいきもちになっているとこに、

「鍵はあけておきます。御用の時はいつもおいでくさい。おやすみなさい」って言葉をかけてもらえる。

じいいいいいいいいいいいいいいんなのだ。
さらに追い討ちをかける。昼間乗せた3人の若者が窓の下でお祝いの歌をうたってくれる。彼らはハンブルグへ旅立つという。そして立ち去る前にビビ・アンデルセンがこういい残す。

「私はイサクが好きよ。今日も、明日も、ずっと・・・」

じいいいいいいいいいいいいいいいいいいいんである。その言葉を胸にねむりにつくと、再び子供の若き日のサラ(ビビ・アンデルセン)があらわれる。そして彼女はイサクの手を引き、かつて、イサクの両親が幸せな時間を過ごしているその一シーンをおもいおこさしてくれる。
じいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいんである。そして幸せそうに眠りにつくイサク・・・。

これは、ベルイマンの『フィールド・オブ・ドリームス』である。
まさに人生の癒し映画の傑作だ。

by ssm2438 | 2010-03-10 05:16 | I ・ベルイマン(1918)


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