西澤 晋 の 映画日記

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2009年 08月 03日

ネットワーク(1976) ☆☆☆

f0009381_2147127.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:パディ・チャイエフスキー
撮影:オーウェン・ロイズマン
音楽:エリオット・ローレンス

出演:フェイ・ダナウェイ
    ピーター・フィンチ
    ウィリアム・ホールデン

        *        *        *

この1976年のアカデミー賞は壮絶だった。作品賞を取った『ロッキー』もそうだが、ノミネート作品にもどれもすごい映画ばかり。『大統領の陰謀』『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』『タクシードライバー』『さすらいの航海』『マラソンマン』『キャリー』など、どれもどこかに絡みそうなものばかり。そのなかにあって脚本賞、主演男優賞、主演女優賞、助演女優賞を取ったのがこの『ネットワーク』。
ちなみに私が一番信頼するNY批評家協会賞では作品賞と監督賞は『大統領の陰謀』、脚本賞がこの『ネットワーク』となっておりました。ちょっとゆるいLA批評家協会賞は作品賞が『ネットワーク』と『ロッキー』、監督賞が『ネットワーク』のシドニー・ルメットー、脚本賞も『ネットワーク』のパディ・チャイエフスキーでした。

・・しかし、私はシドニー・ルメット大好きなのだけど、この映画はもうちょっとかなって気がしてた。なんでそんなにこの映画がよかったのだろう・・。ルメットといえば社会派の映画だが、この映画はどっちかというと寓話だろう。最近の『その土曜日、7時58分』みたいな立ち位置の映画で、リアリズムを追求した映画とはちょっと違う。いつものルメット、というか昔のルメットを求めると、空振りしてしまうかもしれない。そういう私はほとんど見送りかけてなんとかバットにあてた程度。


物語は、フランク・キャプラ『群衆』のダークサイド版・・と私は理解した。

視聴率1%の伸びが年200万ドルの増収となるTV界。そんななか、かつては28%の視聴率を誇ったUBSのビール(ピーター・フィンチ)のイブニング・ニュースも今や12%という低落。これが直接の引金となり、ライバル放送局のCCAに乗っ取られ、創立者は会長に追いやられ、CCAより新しい社長が就任した。報道部長マックス(ウィリアム・ホールデン)はそんなビールに番組解任を通告する。翌日、ビールは自分が辞めさせられる事、さらに自殺予告まで行ってしまった。しかし彼の暴言に視聴率は27%と上がる。
野心家プロデューサーのダイアナ(フェイ・ダナウェイ)はこれ乗じて、ビールを現代の偽善と戦う予言者として売り出すことにする。金脈を掘り当てた喜びのダイアナ。意見を述べる報道番組『ビール・ショー』は人気を博し48%の大台へ上昇。 UBSの年次総会でもその功績がたたえられた。
しかし、現代の予言者として過激化するビールが、UBSの親会社CCAを非難しだしたのだ。CCAは、ビールの言動変更を迫った。CCAのイエスマンに成り下がったビールだが、視聴率は低下していく。ダイアナはビールを番組から降ろさなくてはと決断。彼を番組中に射殺させるという暴挙にでる。

       *        *        *

<以下、2011年12月22日に更新>

『ネットワーク』、久しぶりにみたら、今回はけっこう楽しめた。
少なくとも、前半の「みんな窓をあけて、俺は起こってるんだって叫ぼう」のあたりまでは妙に燃えた。主人公たちがいる放送局のUSBも局の親会社が変わったことで人事も変わっていく流れも、サラリーマン事情がわかってくるとなかなか面白かった。
と同時に駄目なポイントもはっきり見えてきた。

致命的なのは、ウィリアム・ホールデンが物語の展開に絡まなくなってしまうのが痛い。この物語の中でいわゆる「良い人」なのはウィリアム・ホールデンで、見ている人は彼に感情移入して観ることになるのだけど、この人が途中から会社を首になる、物語の進行とからまなくなってしまう。感情移入する対象がいない中で物語が進むのでそこから後が、ドラマは動き出しているのだけど、見る側としてはどうにも張り合いを感じない。
で、また出てきたと思ったら、今度は奥さんを捨ててフェイダナウェイと同棲を始めるという。ま、それでその恋に生きてくれるならいいだけど、これもただの心の揺らぎだけで、また最後は奥さんのところに帰っていて言ってしまう。再登場してからも、ドラマの本線にはなんの影響力もない。これが問題だな。

だいたい、せっかくフェイ・ダナウェイを好きになったのなら最後まで面倒みろよ!って思ってしまった。この映画のなかでフェイ・ダナウェイは、人の喜びも苦しさもまったく感知しない、全てがショーのためのアイテムのように捉えている女。目的にのための合理性しか考えない女なのである。
ただ、せっかく恋愛ネタをからませるなら、この人のネガティブな部分をどうフォローし手上げられるかっていうのが人間的な優しさになると思うのにな・・、それが出せなかった。
彼女ほど、全てのことに感情をインベスト(投資)するのを拒んでいる人なら、それなりに理由があるはずなのだ。普通こういう人を登場させたら、「私は誰かに感情をインベストして裏切られた時に耐えられない。だからもう誰にも、何に対しても感情をインベストしないことにしたの」みたいな裏の設定がなされてて、そこをウィリアム・ホールデンがすこしづつほぐしていってあげるってのが、物語のおいしいところだろう。せっかくドラマ的においしい土壌があるのにそれを使えなかった・・・。
ホールデンとフェイ・ダナウェイの恋愛ネタを使うならそれくらいはしてほしかった。今のままじゃ、社会的に競争力の無くなったただのおいぼれが、若いおねーちゃんによろめいただけってことで、このエピソードをがなくてもいい!って思ってしまう。

・・・・しかし、ここをなくすると、他に感情移入できる人がほんとにいなくなってしまう。
ピーター・フィンチはただの無責任発言連打するひっかきまわし役だし、フェイ・ダナウェイは感情移入をしないキャラとして造形されてるから観てる人が感情移入できないし、野望をもったロバート・デュバルは立ち居地敵には仇役だから感情移入できないし・・・・、そう考えると、ウィリアム・ホールデンをドラマの中に残しつつ物語を展開してほしかったなあ・・って思ったのでした。

by ssm2438 | 2009-08-03 20:44 | シドニー・ルメット(1924)


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