西澤 晋 の 映画日記

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2009年 08月 04日

ネイキッド・タンゴ(1990) ☆☆

f0009381_1132315.jpg監督:レナード・シュレイダー
脚本:レナード・シュレイダー
撮影:ファン・ルイス・アンシア
音楽:トーマス・ニューマン

出演:マチルダ・メイ
    ヴィンセント・ドノフリオ

      *      *      *

映画の勉強としてはファン・ルイス・アンシアの画面。原色ばりばりの露骨な照明と黒の絞りが素敵な映画。・・・でもほんとはマチルダ・メイ見たさに見た映画。しかし『スペース・バンパイア』の潔いヌードを見る感動はなかったな(苦笑)。これって90年だったのか・・、しかしこの頃は良く映画をみにいってたなあ。

監督は『蜘蛛女のキス』の脚本家として知られるレナード・シュレーダー。世間ではこの映画をいいとう人も多いが、生理的にホモ物はうけつけない私。どうもだめだ。きっとホモ映画をとる人ってどっかでホモ肯定なのだと思う。自分がその手の話を持ってこられたとき、まったく対応できなかった。表面面だけ整えることくらい出来るだろうっておもってたのだが、どうも魂が受け付けない感じだった。その原作と対面するのもいや!みたいな。なので、この映画も期待はしてなかったのだが、やっぱり期待通り、普通の出来でした。ま、ハーレ・クウィン・ロマンスといったところか・・。

<あらすじ>
1924年、ヨーロッパからアルゼンチンに向かう洋上。40歳も年の離れた富豪のトーレス(フェルナンド・レイ)と結婚した19歳のステファニー(マチルダ・メイ)は、彼女と同じ年頃の少女が海に身を投げるのを目撃する。それがステファニーだと誤解するトーレス。悪戯心から、ステファニーは身を潜めて夫の様子をうかがうが、妻の死を悼むどころか、家名を重んじるあまり事件を揉み消そうとするトーレスの姿に失望した。自殺した少女になりすましたままアルゼンチンの地を踏むことを決意する。

少女の名はアルバ。貧しさ故に、ポーランドからアルゼンチンの見知らぬ男のもとへ嫁ぐ途中だった。夫となるジーコ(イーサイ・モラレス)は手に入れたダイヤモンドの代価として、イタリア人宝石商に新妻であるアルバを抱かせようとする。手にしたナイフは宝石商の胸を貫くアルバ。この事件はジーコらユダヤ人グループと、イタリア人組織との緊張を高めた。チョーロ(ヴィンセント・ドノフリオ)はアルバをジーコの経営する妖しげなタンゴ・バーに連れ込む。
豊かなブロンドは黒く染められ、踊り子として、娼婦としての新しい生活が始まる。

仲間の娼婦が、アルバに告げる。「チョーロは自分自身とタンゴしか愛せない男よ」。

彼はアルバにタンゴのすべてを教え込む。タンゴの秘める情熱、悲劇、官能、魔性。それは、虚飾をはぎ取った危険なまでに純粋な愛の行為にほかならなかった。彼女をジーコに抱かせながらも、他の男と踊ることは禁じるチョーロ。彼は決して彼女を抱こうとはしない。彼の冷酷な魅力の前に、憎しみはいつしか薄れ、背徳の日々の中を堕ちていく自分の姿に、甘美な喜びすら覚え始めるアルバは、裸でチョーロとタンゴをおどりながら抱いてほしいと願う。そんなアルバをベットに引き倒し乳房をなでながらこう言う。

「セックスはむなしい、いつも同じだ。俺はお前の女に興味はない。俺が愛するのはお前が生み出す美だ」

イタリア人組織との抗争が激化し、ジーコの裏切りで警察からも、イタリア人組織からも追われるみとなったチョーロとアルバ。しかしアルバは警察に保護され、ステファニーであることが判明した。トーレスのもとで平穏な日々を送るステファニー、すべては夢だったのだと思われた。そんなある日、ステファニーのもとにタンゴの教師としてチョーロが現われた。しかしステファニーはジーコにつれされれる。ステファニーをつれもどそうと金で解決しようとするトーレスはジーコのもとに身代金をもっていき、ステファニーを連れ帰ろうとしたときチョーロが現れる。自分を裏切ったジーコをゆるさないチョーロは彼を殺した。はれて自由にみになったステファニーを求める二人の男、トーレスとチョーロ。ステファニーはチョーロを選び駆け寄ると、トーレスが銃弾を放つ。つづいてチョーロも。チョーロはナイフを投げてトーレスを殺すが、すでにステファニーはいき絶え絶えだ。彼女をステージへつれていき、最後のタンゴを踊るチョーロとステファニー。

by ssm2438 | 2009-08-04 00:39


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