西澤 晋 の 映画日記

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2009年 10月 12日

ドア・イン・ザ・フロア(2004) ☆☆☆

f0009381_140456.jpg監督:トッド・ウィリアムズ
原作:ジョン・アーヴィング、
    『未亡人の一年』(新潮社刊)
脚本:トッド・ウィリアムズ
撮影:テリー・ステイシー
音楽:マーセロ・ザーヴォス

出演:ジェフ・ブリッジス
    キム・ベイシンガー
    ジョン・フォスター
    エル・ファニング
    ミミ・ロジャース

        *        *        *

不思議なことなのだが、実はジョン・アーヴィングの原作で映画になったものは全部みていた。『ガープの世界』、『ホテル・ニューハンプシャー』、『サイモン・バーチ』、『サイダーハウス・ルール』、そしてこの『ドア・イン・ザ・フロア』。特にアーヴィングが好きというわけではないのだが、この人の「沁み込ませ方」は圧倒的に上手いと思う。そしてアーヴィングの特徴は、彼の描く物語はいつも「子宮」の臭いがする。そしてアーヴィングの書く話はいつも、深い悲しみがあり、それでも前向きな姿勢がある。

この物語は、子供を交通事故で失った夫婦の再生へむけた歩みをきりとった映画。家の廊下にはなくなった二人の男の子の写真が額に入れて飾ってある。子供の頃から彼らが死んだ17才と15才の時までの写真。妻はそれを見て毎日をすごすだけ。二人を失ってから生んだ娘はベビーシッター任せ。失意のどん底からまだ這い上がれない妻に対して夫がおこなった最後の荒療治。それがこの物語。夫は妻に仮の息子を与えるために、性格は次男に、面影は長男に似た男の子をアシスタントとして雇った。
アーヴィングの話には近親相姦の構図というのはよく出て来るそうだが、この物語ではなかった。しかし、この男の子を通しての仮想近親相姦と見ることはできるかもしれない。

タイトルの「ドア・イン・ザ・フロア」とは、作家である主人公が書いた絵本のタイトル。そのドアの下にあるものは・・女性にとっては、それはこの世界の下にたえず存在するが、見ないことにしている恐怖・・? 男性にとっては、それは現実の世界・・? そしてそのドアとはヴァギナのこと・・? いろんな解釈が出来るし、多分それはひとつの解釈にとどまることはないだろう。いろいろ含みのある映画だ。

トータルな印象としては、それでも他のアーヴィングの作品よりはなんとなくさらさらしてたかな・・という気がした。そのさらさら感がきもちいい。

<あらすじ>
交通事故で二人の息子(17才のトムと15才のティム)を失ったマリアン・コール(キム・ベイシンガー)にはその後に生まれたルーシー(エル・ファニング)もいるのだが、彼女にはほとんど感心をしめせないくらい虚無感に飲み込まれている。ルーシーの世話は雇ったベビーシッターの女の子が担当していた。そんな妻を虚無感からなんとか救い出しと思いたった夫のテッド・コール(ジェフ・ブリッジズ)は、長男のトムによく似た小説家志望の高校生エディ(ジョン・フォスター)をアシスタントとしてひと夏雇うことをきめ、彼との時間を持たせるために別居を申し出る。彼が始めてロングアイランドの家を訪れたときも、自分で出向かず、マリアンを迎えにいかせた。・・・多分その意図は、どこかの時点でマリアンも感づいていたのだろう。

そんなテッドは、仕事に必要なモデルとしてヴォーン婦人(ミミ・ロジャース)をやとい、彼女のヌードを描いている。もちろん情事もかさねているようだ。彼は小説家であると同時に、挿絵を自分で描いているのだ。二コール・キッドマン以前のトム・クルーズの奥さんだった人だが、体形が崩れかけた熟女であり、匂いたつ感じだ。

事情は知らないエディだが、マリアンの美しさに魅了され、彼女を想いながらオナニーにふける。しかしそのシーンをマリアンにみられてしまう。だからといって騒ぎ立てるわけでもなく、彼が自分を想いオナニーをすることを受け入れるマリアン。そして二人の息子の写真をみながらつぶやく。
「二人はしてたかしら? ・・トムは女の子に人気があったらしてたかもしれないわね。ティムは・・シャイだったからしてないわね。 男の子ってしたいものでしょ?」
「はい。死ぬ前には・・」
ブラウスのボタンをはずしていくマリアン。その意図を理解し自分も服をぬぐエディ。マリアンはエディの手をとり自分の股間を触らせるが、エディは興奮のあまりそれだけでイってしまったようだ。ベットにふたり寝そべり、それだけでもう満足してるというエディを、やさしく、きちん最後まで完了させあげるマリアン。

その夏エディはマリアンと60回セックスをしたという。
そして、マリアンは二人の写真とネガをもって出て行った。


この映画をみて、思い立ったのが、その前にみた『恋愛症候群』のなかにある言葉。

「誰も自分の感情にはさかられないのよ・・」

マリアンは娘を捨てて、二人の写真だけとネガだけをもって消えたのだ。夫のテッドは「俺の息子たちでもあるんだぞ、半分は残していってもいいだろう。ルーシーはどうなる。親権を放棄するのか?」
彼女の心の傷は、理性など入り込むスキもないのだ。そのくらい壊れている。
こういうひとつひとつの言葉と描写が、見てる人の心にじわああああああっと沁み込む、凍えるのよに冷たく、美しい映画だ。

by ssm2438 | 2009-10-12 14:03


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