西澤 晋 の 映画日記

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2009年 03月 17日

時計じかけのオレンジ(1971) ☆☆

時計じかけのオレンジ(1971) ☆☆_f0009381_11195126.jpg監督:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック
撮影:ジョン・オルコット
音楽:ウォルター・カーロス

出演:マルコム・マクダウェル

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脳みそシャッフル映画。この映画の存在価値は十分認めるに値するが、この映画を「好き」といってるやからの言葉は信用するにあたらないだろう。

人間が成長していくとき、その思想は、周りから情報を得て構築され、またそれを一旦壊し、そしてまた新しい情報を一緒に再構築する。その繰り返しだといっていい。われわれが、両親や、学校の先生から教えたれたものがずべて自分たちに有益かどうかなんてわからないし、所詮は他人の言葉であるので、その信憑性は自分で確かめることは出来ない。だから、人は出来上がった思想を自分で壊しながら、あまた新しい概念を構築していくのだ。
映像を作る側としても、見る人間に新しい概念を伝えたいと思う人は、見ている人たちのもっている基本概念を一度壊す必要が出てくる。それが壊れないことには、これから語りたい概念はなかなか吸収してもらえないものだ。キューブリックの映画というのは、この壊すほうはとても上手いのだが、構築するものがないというのがほんとのところだ。なので構築する方向性に富んでいるアーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』などは、じつはとても相性がよくなかったのかもしれない。
再構築するための破壊であり、再構築なき破壊はただのクソだ。キューブリックの映画ではその再構築への生産性がみられない。だからクソなのだ。それをみて「これはいい」とか言ってる人間もクソにしか見えない。

私は「戦争がない世界をめざそう」という政治家は信用しないことにしている。戦争がない世界なんてのは言葉としては美しく聞こえるが、それをなくするためには、人間性自体をなくさねばならなくなりと思うからだ。自我の存続を認めれば、争いは起きるものであり、それがあるからこそ古い概念に所属するものは淘汰されていく。それが進化の基本メカニズムだと思う。われわれの体内にしても、そのようにして古い細胞が新らしい細胞に取って代わられ、排除された古い細胞が分解され体外にだされる。
なのでこの映画で語られていることは、基本的には合意できる概念なのだ。
この映画では前半部で暴力を描き、後半部でそれを駆逐するための管理社会と、非人間的精神改造がを描いている。

私はその点ではこの映画は十分いいと思うのだけど、問題なのは、管理社会と、非人間的精神改造がとても妥当なことに見えてしまうところなのだ。私なんかは、あのアレックスをみながら「ああ~あ、いい気味だ。もとtもっと不幸にしてやれ~~」と思える。クソ人間はくソ扱いが適当だ。いかに管理社会とはいえ、逸脱し過ぎたものは死刑のように強制排除か、それが出来ないなら、人格改造も不可欠だろう。
この映画では、この非人道的管理社会が「これはまずんいんじゃい」と思えなければいけないはずが、そう思えないから、暴力だけを描写した映画になってるような気がする。これもすべて、キューブリックの近視眼的映像作りの気質からきているものだろう。

by ssm2438 | 2009-03-17 06:14 | S・キューブリック(1928)


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