西澤 晋 の 映画日記

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2009年 03月 17日

マーシャル・ロー(1998) ☆☆☆

f0009381_16291650.jpg監督:エドワード・ズウィック
脚本:ローレンス・ライト
    メノ・メイエス
    エドワード・ズウィック
撮影:ロジャー・ディーキンス
音楽:グレーム・レヴェル

出演:デンゼル・ワシントン
    アネット・ベニング
    ブルース・ウィリス

        *        *        *

とりたててスゴイというわけでもないけど、きっちりつくれてる。ただ、エドワード・ズウィックはあんまりポリティカル・サスペンス系は合わないとおもうのだけど・・。
なにやららせてもきっちり作る人だと思うのだけど、このひと、出来ないことがひとつあって「臭わせて見せる」こと。これが出来ない。全部見せちゃう派なんですよ。なので軽いノリの『きのうの夜は・・・』とか、大河ドラマ系の『レジェンド・オブ・フォール』だとけっこうはまるのだけど、この映画みたいに政治的な策略が背景にあるドラマというのはどうも合わない。こういうドラマって直接見せずに、間接表現で、臭わせて、臭わせて、見ている人の想像力でどんどん圧迫していく、そういったタイプの見せ方のほうが合ってる。
そういう意味でちょっと、エドワード・ズウィックだと勝手がちがったような・・そんな気がした。
でも、決して出来のわるい映画だとは全然思わないし、スピルバーグが好きな人ならこういう見せ方でもいいと思うのだけど、まあ、私の趣味とはちょっと違う出来になってしまったかな・・という感じ。

あと・・、この話であんまりデンゼル・ワシントンのあの役の語りはあんまり正当化できなくって・・。
もし、東京の真ん中に原爆しかけられて、あと6時間で爆発するって時に、自分が捜査官で、そこに犯人に通じる男がいて、そいつが犯人の居場所をしっていると確信あるなら、拷問にでもかけるよ。その結果、自分があとで軍法会議にかけられようが、世間から非難されようが、そんなのどうでもいい。そこにしか可能性がないなら、私なら拷問にかけろって指示する。
戒厳令してい、アラブ系のアメリカ人を収容所にいれるのも、その立場だったらやりかねないと思う。デンゼル・ワシントンの立場って言うのはまず先に、ブルース・ウィリスがそこにいたから出来る反発であって、もしブルース・ウィリスの立場に自分がいて、原作者からの特権で、常に自分の勝利が転がり濃くと知らない時だったら、どう行動するのか?っていわれると・・・どうなんでしょうねえって思うな。

ただ、この物語では、軍部が違法逮捕をしてるってことが言い訳になってるからなんとなくそれですまされてるけど、それがわからない状態で、あんなことになったら、デンゼル・ワシントンの立場を支持できる気はしない・・。

<あらすじ・・を整理>
CIAは秘密裏に急進派のイスラム原理主義の指導者を拘留する。それに対抗してイスラムの武装勢力が教祖の解放を求めてテロを起こす・・というのが、基本ライン。
開放しないのならニューヨークに爆弾をしかけて爆発させるぞというのが彼らの主張。やれるもんならやってみろ。それでやられたとしても、犯人とは絶対に取引しない。取引しないなかで犯人を逮捕に全力を傾けるが、もしそれがダメでこちらが被害をうけるなら、それはうけとめるしかない・・というのがアメリカ側の基本姿勢。

※テロを扱うドラマというのは、基本的にアラブ人を悪者に出来ない世論がある。なので、国内の誰かが悪さをして、その抵抗環境としてアラブのテロリストグループが浮かび上がるが、最後は見方の仲に悪さをしたやつがいる・・ということでまとめないといけないみたい。たいがいどのテロモノ小説を読んでもそんなこんせぷとになっている。

テロリズム対策部長でFBI所属のハブ(デンゼル・ワシントン)。
エリース(アネット・ベニング)はアラブ系アメリカ人社会にコネクションを持つCIA活動員だった。
大統領はついにニューヨークにマーシャル・ロー(戒厳令)を発令、ダヴロー将軍(ブルース・ウィリス)が指揮のもと、アラブ系アメリカ人を隔離する。
エリースと肉体関係のあるアラブ側の情報提供者、サミール(サミ・ボージラ)はデモを対象に爆破テロ活動があると情報をながす。徐々に犯人グループが捕まっていく。しかし、最後の一人はまだ活動している。
しかし、最後の活動かとは・・・。

by ssm2438 | 2009-03-17 15:04 | E・ズウィック(1952)


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