西澤 晋 の 映画日記

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2009年 05月 03日

無法松の一生(1958) ☆☆☆☆☆

f0009381_2139751.jpg監督:稲垣浩
脚色:伊丹万作、稲垣浩
撮影:山田一夫
音楽:團伊玖磨

出演:三船敏郎、高峰秀子

        *        *        *

昔みて、いたく松五郎のかっこよさというか、男意気というか、潔さ(これが一番あっているかも)に感動した。本宮ひろしの漫画にでてきそうなオヤジだ。
しかし、今思うと、これって、フェデリコ・フェリーニ『道』の逆バージョンかもしれないなあ。あっちのジェルソミーナもちょっとおつむの弱い博愛主義者。こっちの松五郎もちょっとおつむの弱い(ジェルソミーナほどではないが)純情おやじ。個人的には純粋さがちょっとおバカさんに振らないと出来ないとも思わないが、そのほうが判り易い物語にはなりそうだよね。

『無法松の一生』はこの稲垣浩+三船敏郎バージョン(東宝)の前に、坂東妻三郎バージョン、勝新太郎バージョン、三国錬太郎バージョンがある。この富島松五郎というキャラクターはそれだけの魅力がある。もっとも、今の時代にうけるかどうかはちょっと疑問だけど・・・。私が見たことがあるのは、この三船敏郎バージョン。私はこれで十分感動できたので他のものをみることはなかったのだが、ほかのバージョンもなかなか評判はいいようだ。

<あらすじ>
明治三十年の小倉。人力車夫の富島松五郎(三船敏郎)が戻ってきた。芝居小屋の木戸を突かれた腹いせに、同僚の熊吉とマス席でニンニクを炊いていやがらせ、さいごはケンカになって芝居はめちゃめちゃ。散々悪態をついていた松五郎だが、仲裁に入った結城親分に
「おまえがそいつらに頭にきたのはよくわかる。しかし、おまえさんは暴れてそれで気が済んだかもしれないが、この芝居を楽しみに見に来てくれたほかの人たちはどうなる?」と諭されると、
「すまん、わしが悪かった。頭に血が上ってそんなところまで頭がまわらんかった。許してくれ」と潔くみんなに侘びをいれる。多少頭は悪そうだがこの潔さがとても魅力的な松五郎。

ある日松五郎は木から落ちて足を痛めた少年・敏雄を救った。それが縁で、その少年の父吉岡大尉(芥川比呂志)の家に出入りするようになる。大尉は松五郎の豪快さと潔さがとても気に入っていた。そんな松五郎も良子夫人(高峰秀子)の前では赤くなって唄も歌えない。そんな幸せな日々も大尉も死で急転してしまう。
松五郎は引込み勝ちな敏雄と一緒に運動会に出たり、鯉のぼりをあげたりと、残された母子の世話をしていたい。そんなことが天涯孤独な松五郎も心地よかった。明治が大正になり、敏雄は中学の四年になった。他校の生徒と喧嘩をして、松五郎を喜ばせた。しかしそんな敏雄も大人になっていくにしたがって、身分というものを判って来たか、松五郎とは心の距離をおくようになる。松五郎にとってこのことは、自分の人格を否定されたかのようにとても淋しいものだった。そして高校に入った敏雄は小倉を去った。
めっきり年をとり酒に親しむようになった松五郎が想うのは良子夫人のことだった。大正六年の祇園祭の日、敏雄は夏休みを利用して小倉に帰って来た。松五郎は自からバチを取った。彼の老いたる血は撥と共に躍った。離れ行く敏雄への愛着、良子夫人への思慕、複雑な想いをこめて打つ太鼓の音は、聞く人々の心をうった。
数日後、松五郎は飄然と吉岡家を訪れた。物言わぬ松五郎のまなこには、涙があふれていた。それ以来、松五郎は夫人の前から姿を消してしまった。

「俺の心はきたない!」・・・いたいぞ、この言葉。

実はこのあと、松五郎が未亡人に想いを打ち明けるシーンが前作(坂東妻三郎バージョン)ではあったらしい、しかし戦時中の検閲のためそれがカットされたとか。しかし、それがないほうが実に良い味をだしていたこともあり、本作でもそのシーンは撮られなかった。

やがて松五郎は敏雄を連れて通った小学校の校庭に倒れていた。吉岡家からもらった祝儀の品々が手をつけず、敏雄と夫人宛の貯金通帳があった。良子夫人は冷い亡きがらに取りすがって泣きくずれるのだった。

1958年ヴェネチア国際映画祭・サン・マルコ金獅子賞作品である。

by ssm2438 | 2009-05-03 21:46


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