西澤 晋 の 映画日記

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2009年 07月 02日

氷の微笑(1992) ☆☆

f0009381_1240286.jpg監督:ポール・ヴァーホーヴェン
脚本:ジョー・エスターハス
撮影:ヤン・デ・ボン
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演
マイケル・ダグラス (ニック・カラン刑事)
シャロン・ストーン (キャサリン・トラメル)
ジョージ・ズンザ (ガス・モラン)
ジーン・トリプルホーン (ベス・ガーナー)

        *        *        *

シャロン・ストーン
のノーパンの股間がみえるというだけで、やたらとブームになった映画。何でも、そのシーンの彼女はノーパンだということだけど、普通に撮影しているとどうしてもカメラの奥にパンティが見えてしまうということで、ポール・ヴァーホーヴェンがシャロン・ストーンにパンティを脱いでくれと頼んだとか。で、直接見えていてもあとでシェイド(影)をいれて隠すから・・ということだったので、彼女もOKして撮らせたらそのまま流されてしまった・・ということらしい。

この映画の一番の特徴は、犯人はこれだ!と限定しないまま物語を終わらせてしまっているところ。あとは見ている人が考えなさいってことだけど、話をこねくっているあまりに、誰が犯人だが特定できなくなってしまっている(苦笑)。なので納得しようとおもったら、「ああ、作る側がこうしたかったんだね」ってことを理解しながら見てあげないといけない映画・・。
監督はポール・ヴァーホーヴェン。この前に『トータル・リコール』を撮っているが、個人的にはへたっぴな監督さんの一人にはいっている。悪趣味なげろげろシーンは、一部の人にはうけるかもしれないが、才能ない人はそこでしか魅せられない典型例。カメラもヤン・デ・ボン。オランダ組みの二人だが、こちらもあざとい赤/青ネオン光つかいすぎる。ようするに、下手な人が自己主張するにはそれしかないような演出であり、撮影になっているのだ。
本物の演出家というのは、誰もが「これはいい」とわかるようなところでは仕事をしないものだ。なぜだかわからないけど「これはいい」と思わせてしまう技術力を持っている人こそが本物の演出家。このふたりにはそれがまったく感じられない。


この映画は冒頭ロックスターの〇〇とエッチしているキャサリン(シャロン・ストーン)ではじまるのだが、馬乗り状態でエッチしてる彼女は男の手をベットに縛り付けて、どうするのかと思えばアイスピックでめった刺しにしてしまう。動機は不明。

これがキャサリンなら、物語の犯人はキャサリンであるということになる。物語が進行するにしたがっていろいろ殺人事件がおきるのだが、これらも彼女の仕業だろう。しかし最後は、それを持ち前の人をマニピュレイトする力で、人の弱さにつけこみ、自分の美貌を使い、嫉妬心をあおり、結局ジーン・トリプルホーンを犯人に仕立て上げてしまう。
・・・これがもっとも、作り手側にやさしい見方だと思う。


しかし・・・、キャサリンの行動様式=人をマニピュレイトする・・というの設定を考えると、「出来るならすべての殺人を自分の手以外でやっててほしい」と見ている人は願ってしまうわけだ。今度はそれぞれの殺人が、誰かをマニピュレイトして殺させることが可能かどうか考えてみる。・・が、結論からいうとそこまでは練られてないようだ。もしそれを狙ったものだとすると、こいつは犯人ではない!っていう決定的な証拠をドラマのなかに提示しておかないといけないのだけど、残念ながらそれはない。ただ、最初の殺人がキャサリンには動機が不明なので、これもなぞが残るところ。。。

・・・つまり、「この映画は不完全なシナリオから作られている」ということを理解しておかないといけないサスペンスなのだ。これは、まるで魏志倭人伝にかかれている邪馬台国の場所をさがすようなもの。その記述の信憑性が乏し過ぎるのである。
このお話をみて犯人を自身を持って特定でき人がいたら、よっぽど本作の内容を理解してない人にちがいない。ただ、誰を実行犯にしても、おそらくはキャサリンがマニピュレイトしてそうさせているのであって、やっぱりキャサリンが犯人だと考えるのが作り手にたいして良心的な見方だと思う。

by ssm2438 | 2009-07-02 12:37


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