西澤 晋 の 映画日記

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2008年 11月 11日

メカゴジラの逆襲(1975) ☆

メカゴジラの逆襲(1975) ☆_f0009381_12483582.jpg監督:本多猪四郎
脚本:高山由紀子
撮影:富岡素敬
音楽:伊福部昭
特技監督:中野昭慶

出演
平田昭彦 (真船博士)
藍とも子 (真船桂)
佐々木勝彦 (一之瀬明)
睦五郎 (ブラックホール第三惑星人・ムガール隊長)
中丸忠雄 (インターポール東京支局長・田川)

        *        *        *

ストーリーは完全に前作の続きという形を取り、ブラックホール第三惑星人の新たな攻撃を描いているが、ストーリーの主軸となるのはサイボーグ少女・桂をメインとした悲恋物語の色が濃い。本作が本多猪四郎監督の遺作となってしまいましたが・・・これはひどい。

いろいろひどいが、何が一番ひどいのかかんがえてみた。で、結論、怪獣の足元からあおりの広角の画、あれがひどい。まるで等身大の人がゴジラの着ぐるみをきて、その足元からカメラをいれた画面のように見える。あれで映画感ぶちこわし!!
ほかにもいろいろひどいところあり。チタノザウルスのデザインも最低だけど、この怪獣の攻撃は尻尾のぱたぱただけというかなりなさけない怪獣。だれがデザインしたんでしょうね? この怪獣のデザインにかぎらず、すべのデザインがひどすぎる。ちなみにこの怪獣は、やさしい恐龍(恐竜ではないらしい)という設定だったのだけど、真船博士が動物をコントロールする技術を開発し、そのせいで人間の制御の下で東京を襲うということなのだけど、最後はこの恐龍、人間からの制御から開放されて海へ返してやるのかと思えば、あっさりゴジラにころされちゃう。え、それでよかったの??って感じ。
脚本もよくない。人間ドラマンしたいのはわかるし、それが出来てれば文句はないのだけど、出来上がったものは幼稚なテレビシリーズの特撮モノていどのドラマ。図式的なお話でまるで人間ドラマがかきこまれているわけではない。一度死んだ真船博士の娘は、ブラックホール第三惑星人が改造手術をおこない、生き返ったサイボーグという設定だけど、自分の意志で出来ることと出来ないことのすみわけをきちんと描いておくべきだった。そして、最後は出来ないことでも、「愛」の力で出来てしまうとか・・しないと。そのあたりがすごくあいまいなまま、物語が進んでいくので見てる側としてもただただあいまいなだけ。

<あらすじ>
海に沈んだメカゴジラの残骸を捜索中の潜水艇がチタノザウルスに襲われ行方不明になる。調査に乗り出すインターポール。そのメンバーの一人、海洋研究所の一之瀬(佐々木勝彦)は、10年前に「恐竜は実在する」と発表して世間を追われた真船博士(平田昭彦)が事件に関係があるとにらんだ。一方、その真船博士は、人知れぬ地下の実験室で一人娘・桂を助手にして、世間へ復讐するために「動物をコントロールする研究」に没頭していた。真船博士の復讐心は地球征服を企む宇宙人に利用されることになる。
彼の娘真船桂(藍とも子)は研究中の事故死んでしまったが、それをブラックホール第三惑星人がサイボーグ手術で生き返らせた。その恩もあり、彼はブラックホール第三惑星人たちに協力をしているのだ。
ムガール(睦五郎)は桂の頭脳をメカゴジラの作動装置をリンクさせ、行動力を強化する。そしてメカゴジラとチタノザウルスによる東京大破壊作戦が開始された。
真船家を探っていた一之瀬がムガールに掴まっていたが、インターポールが救出に成功。桂は、自らを撃ちメカゴジラの行動をとめる。ゴジラはそのメカゴジラとチタノザウルスを放射能で粉砕しする。

by ssm2438 | 2008-11-11 00:08 | ゴジラ(1954)


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