監督:フォルカー・シュレンドルフ
脚本:ジャン=クロード・カリエール
フォルカー・シュレンドルフ
撮影:イゴール・ルター
音楽:モーリス・ジャール
出演:ダーヴィット・ベネント
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1981年キネマ旬報年間ベストワンの映画がこれ。映画の専門家と、自分の価値観がなくて映画評論家が「良い!」という映画を「良い!」と思ってる人だけが「良い!」って言うクソ映画。生産性のかけらもない。この頃はこの手の映画が実におおかった。
テオ・アンゲロプロスの
『旅芸人の記録』とか
エルマンノ・オルミの
『木靴の樹』とか(そういう『木靴の樹』は嫌いではない)。イギリスも「てめーらかってに腐ってろ」映画がおおいけど、ドイツも実におおい。これもその一つ。というか、
フォルカー・デュレンドルフはぜんぶ「てめーらかってに腐ってろ」映画じゃないかなあ。
『セールスマンの死』(1985)もクソ映画だった。
3歳で勝手に自分の成長をとめたオスカル少年(
ダーヴィット・ベネント)。そう、この物語でかってに自分で自分の成長をとめられるのです。もちろん根拠はない。というわけで、作品全体はブラック・ユーモアのダークサイド・ファンタジー。ブラック・ユーモアの映画に名作なし!の定義を肯定する一作となってます。子供のままでいることで、大人社会に参加しない立場をとってるわけですが、それも卑怯! まるでどっかの漫画の精神年齢高いくせに子供として生きて、大人社会の軋轢から自分を守ってるみたい。
一言で言って歯医者の自己肯定映画。あいつら(大人)はこんなんだ。こんなんで力をもっている。力をもっている人間は所詮こんなもんだ・・みたいな。そんな大人たちを精神的攻撃するかのようにエロ・グロ・残虐シーンを連打。海岸に打ち上げたれた・・ってのはフェリーにの映画でもありましたな。おまえら大人たちだからこんなシーンみても平気だよね~みたいな。ああ、大人たちはこんなシーンみても平気だよ~って顔しないといけないから大変だね~って。
はあ~、ドイツ映画に名作なし!(
『未完成交響楽』を除く)
ドイツ人には映画をつくる(ロマンを語る)才能ないです。彼らはドキュメンタリーだけとってればいいんだ。