西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2009年 12月 18日

スレッズ(1984) ☆☆☆☆

スレッズ(1984) ☆☆☆☆_f0009381_60597.jpg監督:ミック・ジャクソン
脚本:バリー・ハインズ
撮影:アンドリュー・ダン、ポール・モリス

出演
カレン・ミーガー(ルース・ベケット)
リース・ディンズデール(ジミー・ケンプ)

        *        *        *

ビデオ発売時は『SF核戦争後の未来・スレッズ』のタイトル。監督は後に『ボディガード』『ボルケーノ』をとるミック・ジャクソン
当時アメリカは『ザ・デイ・アフター』というかなり子供じみた核戦争映画が撮られて話題にはなったが、あまりにゆるい描写に日本ではこけた。まあ、アメリカ人にはあの程度にしか描けない事情があるのだろう。それに対してこのBBC制作の『スレッズ』は、軍事専門家やアナリストなどを集め、もしどこかの国が核を使用し、その報復として核での報復が行われた場合、どのようなことになるかを徹底的にシュミレートし、作り上げたのがこのテレビ映画。さすがにテレビ映画だけに予算もなく派手なものは出来なかったが、その内容の衝撃度は世界を震撼し、当時高校生以上だった人は、『核の冬』というものがどういうものなのかをこの映画から学んだにちがいない。
当時彼らが出した統計によると(イギリス製作なので、数字はイギリス国内でのシュミレーション)、核戦争が起きた場合、2千900万人(半分のイギリス国民)が死亡し、その後数ヶ月で死者の数はさらに700万人に増えると予想した。

<あらすじ>
物語は、シェフィールド郊外に住む二十歳代の女性ルース・ベケット(カレン・ミーガー)を中心にすえて展開される。シェフィールドには、NATOの空軍基地があり、ソ連のICBMの標的となる都市のひとつだった。彼女は既に妊娠しており、未来の旦那になるべき、ジミー・ケンプ(リース・ディンズデール)と結婚したのち住む新居を一緒にさがしている。車のラジオからときおりニュースでイランとアメリカの関係が悪化、そんなアメリカをけん制するソ連の軍事行動などは報じられていた。イランに兵を送り、アメリカに侵略される前に、イランを自分たちの衛星国にしてしまえと考えたのである。これをアメリカ、イギリス、そして国連加盟国が非難、ソ連はアメリカの脅威からイランを守るためだと主張する。徐々に小出しにされる世界状況の悪化や、それと同時に上空を飛ぶ戦闘機など、さりげなく緊張感をたかめている。この時点では「戦争になったらこれが必要だよ」と街角でカン切りを売るバイヤーも無視されていた。

海上ではソ連船籍の船がアメリカの駆逐艦とせっしょくするという事故が発生し、緊張感を増大させていく。アメリカはソ連にイランからの撤退を最後通告。ソ連はこれを無視。アメリカがB52でモサドのソ連基地を空爆、それに報復してソ連が核ミサイルを米空軍基地に撃ち込む。アメリカも報復。
そんな国際情勢をうけて英国政府は、中央政府が崩壊した場合、地方が独自に自治権をもてるようにマニュアルを配布する。主要道路は政府機関のために封鎖され、ガソリンも政府公共機関以外の車には販売禁止‥などもおりこまれていた。

May 26, 0800: ソ連が、アメリカのペンタゴンやパールハーバー、ノーフォーク空軍基地などをターゲットにして核ミサイルの先制攻撃をかける。イギリス国内のNATO空軍基地や軍司令部、通信施設などもこのターゲットにはいっており、シェフィールドもその中に含まれていた。NASAのスペースコマンドがソ連のミサイル発射を確認、各国へ通達する。
0830: シェリールドでサイレンが鳴り響くが迎撃機が飛び立っていく。
0837:ICBMがシェフィールドに落下する。ロンドン、マンチェスター、エジンバラ、グラスゴーなどもターゲットにされた。

2発目のICBMがシェフィールドにおちると街は炎にやかれた。朝の通勤ラッシュの中にあったジミーや、彼の兄弟は死んだ。ルースと彼女の家族は、地下室に避難してなんとか生き延びた。地下室からでるとそこは地獄絵図のようだった。生き延びたルースの母は火事場泥棒によって殺される。父も飢えと放射能汚染によって死ぬ。火事場泥棒をなどを拘置しておく拘置所がつくられ、彼らは後に軍によって射殺される。飢えと寒さに苦しむ人々。
スレッズ(1984) ☆☆☆☆_f0009381_6132453.jpgやっとみつけた缶詰はカン切りがないから開けられない。地方政府は地下に非難してなんとか食料と燃料を管理していたが、成人男性の1日に摂取するカロリーを500Kカロリー(通常2000~2400Kカロリー)に制限しなければならなかった。
・・・そんな状況下でルースは女の子を出産した。

農薬も肥料もない状況で、なんとか成長した作物は、これもなんとか生き残った害虫に食べられてしまう。飢えと寒さがつづく核の冬。13年後、ルースもガンにかかり死んでしまう。ルースの娘同様、戦後生まれた子供たちは十分な教育もうけられず、情緒も不安定で、精神的発達も不完全なまま成長していた。荒廃した建物に中に無表情な子供たちが火を囲んで、テレビをみている。そこにはカートゥーンが流されている。(あの食入るような目が、我々アニメーターの本来の存在意義なのかもしれないと思った。)

そんななか、ルースの娘も犯される。彼女にはそれが犯されているのかどうかも分らない。たぶん彼女にとっては、そういうものなのだろう。やがてつわりがおこり、産気づく。その頃にはそのような施設があるのだが、苦しんで生んだ子は死産だった。


私にとっては、怒涛の絶望感のなかでアニメーターの存在意義を見せつけられた貴重な映画だった。

by ssm2438 | 2009-12-18 06:14


<< サイコ(1960) ☆☆      旅芸人の記録(1975) ☆ >>