西澤 晋 の 映画日記

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2008年 11月 03日

太陽を盗んだ男(1979) ☆☆

f0009381_2291760.jpg監督:長谷川和彦
脚本:長谷川和彦、レナード・シュレイダー
撮影:鈴木達夫
音楽:井上堯之

出演
沢田研二 (城戸誠)
菅原文太 (山下満州男警部)
池上季実子 (沢井零子=ゼロ)

        *        *        *

対権力のうっぷんばらし映画。
個人的にこういうスタンス大嫌いなので、この映画もまったく感化されるところはなかった。70年の後半といえば、本国アメリカではアメリカン・ニューシネマが既に終わっていたのに、日本ではこんなのまだ作ってたんだ・・ってちょっとびっくり。
親の世代は、こういう世界を若者たちに提供しているが、、若者たちは「そんなのはいや!」って文句は言う。けど、じゃあどうなのがいいんだ??っていう質問には答えをもってない。そんな日本人の人間力の小ささを露呈している作品。みていいて悲しくなる。こんな映画が「良い」って騒いでる奴がいたなんて情けなくなる。
映画を作る側の人は、「こういう生き様であってほしい」という、ある種の憧れに値するものをきちんと提示してほしいと思う。それが日本映画にはなさすぎる。

<あらすじ>
中学校の理科教師・城戸誠(沢田研二)は、茨城県東海村の原子力発電所に忍び込み、液体プルトニウムを盗み出し、アパートの自室でハンドメイドの原爆を完成させてしまう。この行為自体はある物理学の教師が興味本位で自分でも原爆をつくってみたい・・というその一念でやってしまったことなので、ここまでは面白い。ただ、そのあとがいただけない・・。
でも、個人というのは社会の反応があって存在するものであり、社会に「自分は原爆がつくれるんだよ」ってことを認めてもらわなければ、個人がそえを成し遂げた意味はない。ゆえに城戸誠は自己主張しはじめる。そして、金属プルトニウムの欠片を仕込んだダミー原爆を国会議事堂に置き去り、日本政府を脅迫する。
最初の要求は「プロ野球ナイターを試合の最後まで中継させろ」というものだった。国家は城戸誠の要求に屈服して野球中継を最後まで放送させる。
第二の要求は・・・・思いつかない。何も思いつかなかった城戸誠は愛聴するラジオのDJ・ゼロこと沢井零子(池上季実子)にメッセージを送り、リスナーにアンケートを依頼する。その結果、麻薬所持が発覚し、入国が許されずコンサートがキャンセルになったローリングストーンズ日本公演だった。国家は屈服し、ローリングストーンズの入国させた。
次の要求は、原爆を作るのにサラ金から借りた五十万円を返すために五億円だった。以下は、国家に金を要求する犯人と警察との対決の普通のアクション刑事ドラマになる。。


ここに描かれた日本人の願望力があまりにもチープで、みていて悲しくなってしまう。
これが「北朝鮮に拉致された日本人を救出しなければ原爆を爆発させる」とかだったらどれだけ見ごたえがあったことか・・。
アメリカはイランのアメリカ大使館が占拠された時に、どうにかしてかれらを助け出そうとしてさまざまなミッションをかんがえていた。個人が全体を守り、全体が個人を守る、全と個の相互安全保障条約こそが国家だろう・・、なんで北朝鮮に強制的に拉致された日本人をほっとけるんだ。
外交努力でもよし、アメリカみたいに特殊部隊をつくって潜入させ、強制的に人質を奪回するもよし、とりあえず「やれ!」って、内側から脅迫するくらいのことを描いてほしかったなあ。もちろん、国家に守られてるだけの概念しかない、それも守られ方がわるい!って文句をいうことしないアホ国民を多く抱えるこの国で、そんなことを堂々と国家に要求できる人もいなかっただろうが・・。そう、こういうことを要求できるのは、自分たちが国家を支えているという自負がないとダメなんだろうな・・。

この映画では日本人のチープさを見せつけられたのであまりに気分が悪く、口直しに『日本沈没』(1973)でもみたくなってしまった。たとえ日本という国土を失っても、個人として生きていかねばならない試練にむかって一歩を踏み出す、日本人の不屈の精神がそこにあった。
頑張れ、日本!

by ssm2438 | 2008-11-03 02:22


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