西澤 晋 の 映画日記

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2009年 12月 04日

バグダッド・カフェ(1987) ☆

f0009381_512837.jpg監督:パーシー・アドロン
脚本:パーシー・アドロン、エレオノール・アドロン
撮影:ベルント・ハインル
音楽:ボブ・テルソン
主題歌:ジェヴェッタ・スティール、『コーリング・ユー』

出演:
マリアンネ・ゼーゲブレヒト (ジャスミン)
ジャック・パランス (ルーディ)
CCH・パウンダー (ブレンダ)
クリスティーネ・カウフマン (デビー)

        *        *        *

理性で測ると「良い映画」になるのだろうが・・・

アメリカ合衆国ラスヴェガス近郊のモハーヴェ砂漠にぽつんと立つモーテル。そこにあるカフェは《バクダッド・カフェ》と呼ばれていた。女主人はいつも不機嫌、役に立たない夫、自分勝手な子供達、モーテルに居着いた住人たちにも生産性が感じられることはまるでない。ただひたすら人生の残り時間を、彼ら似腹を立てて生きているような生活だった。そこに一人のデブのドイツ人女性がやってくる。物語は、この一人の女性によって、このささくれだった空間が和やかな空間に変わっていくまでを描いている。

この映画、公開当時からかなり話題になり、実際映画評論家たちの評価も高かったのである。しかし、「外したな」と思う人は多いはずだ。そういう私も第一印象は最悪だった。まず、ドイツ人の監督である。戦後のドイツ人の監督の映画で面白い映画があるはずが無い。みてみると、最初は詰まんなかったのだけど、徐々にそうでもないかも・・って思えるようになってくる。「まあ、悪くなかったな」・・と納得するまでにはかなりの忍耐力が必要だ。特に男性には・・・。

なぜ男性にはつらいか、その要素を分析してみた。まず一番に、画面が美しくない。かなり嫌味なパラフィン使いまくるので、嫌悪感を感じる。次に問題は「抱きたい」と夢見る女性がいない! これだけで見る気が半減してしまう。さらなる問題点は生産性がない。欲しいものをめざして努力し困難に打ち勝ち、目的を達成する、その高揚感がない。これがないと判ると、見る気はほとんどうせてしまうものだ。
物語の始まりはこんな具合だ。

ドイツからやって来た夫婦がディズニーランドからラスヴェガスの道中で夫婦喧嘩になってしまい、妻のジャスミン(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)は、夫の車を降りて重いトランクを提げてあてどもなく歩き出しす。そうしてたどり着くのが、さびれたモーテル/カフェ/ガソリンスタンドの《バグダッド・カフェ》。

このデブのドイツ人主婦がまさかこの物語のヒロインだとは誰も思えない。
そのモーテルを仕切っているのが女主人のブレンダ(CCH・パウンダー)。しかし彼女は毎日何かにイライラしている。そのイライラは限界にたっし、仕事をしない夫を追い出した矢先に、ジャスミンがモーテルにやってくる。
「彼女は自動車にも乗らずあるいてここにやってきた。地図ももってない。スーツケース以外なにも持たず、それも男物の衣類が入っているだけ。おかしいじゃないか。一生ここに住み込もうって魂胆みえみえだ。そんなの御免だね」といって最初はつっぱねるブレンダ。

このブレンダもどうみても男に愛される女ではない。
つまり・・・・この映画は、男に愛されることを終了した女の話である。

なんとかモーテルに泊まるようになったジャスミンだが、ブレンダの留守中にジャスミンがモーテルの大掃除をしてしまう。勝手なことをされて激怒するブレンダだが、悪い気はしない。しかしその頃から、モーテルの住人がいつしか失くしていた包容力を求め、ジャスミンの部屋をしばしば訪ねるようになる。また彼女の柔和な人柄と笑顔に魅かれたルーディは、絵のモデルに、とジャスミンを口説き始める。そしてブレンダは、ある朝カフェの客相手に手品を披露し始めたジャスミン目当てに客が《バグダッド・カフェ》にやって来るのに、次第に表情をやわらげてゆくのだった。しかし、すっかりカフェの一員となったジャスミンに、保安官は、ビザの期限切れと、労働許可証の不所持を理由に、西ドイツへの帰国を命じるのだった・・・。

一応物語りはヒーリング物のカテゴリーなのだが・・・、どうもこれで癒されない。
多分男って、自分が進化できる可能性とそれが出来る場所を与えられないと癒されないのではないだろうか・・・。そういう生きものなのだろう。

by ssm2438 | 2009-12-04 05:05


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