西澤 晋 の 映画日記

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2008年 11月 07日

愛の地獄(1994) ☆

f0009381_20295971.jpg監督:クロード・シャブロル
脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
撮影:ベルナール・ジツェルマン
音楽:マチュー・シャブロル

出演:エマニュエル・ベアール

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『恐怖の報酬』『情婦マノン』アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、彼の残された脚本をクロード・シャブロが映画化したこの映画・・、いやああつまんなかった。フランス映画はここにはまるとつまんないね。でも、クローゾーが作ってたらどんなになってたんだろう。クルーゾーの精神的な追い詰め方はとても圧迫感があって個人的には大好きなのだけど、この映画もクルーゾーのメガホンで観たかったなあ。

この物語の中で、エマニュエル・ベアール演じる人妻は、浮気相手がいる。そしてそれを旦那も感づいている。ただ、確固たる証拠がない。旦那も確固たる証拠がない限り、妻は浮気してないという希望をもちつづけてしまう。しかし・・みていて実に不思議だ。もし、浮気相手のほうが好きで、旦那が気付き始めてるのなら、そこで開き直って、旦那に別れ話をもっていくのが普通だと考える。で、旦那が「離婚はしない!」ってぐれるのならそれはそれでいい。しかし、この女は潔くないのである。浮気はしていて、旦那が感づいていても、確固たるしょうこがないかぎり、嘘をつきづるけるのだ。・・・何のために? これが男には分らない。
男には女を好きになる能力があるから、女にも男と同様に男を好きになる能力があると思い込んでいるのである。しかしそれがない。これは、男がもっている「女にも男と同様に男を愛せる能力がる」という幻影と、女の本性=「女には男を愛する能力がない」の矛盾に心をすり減らす男の悲劇だろう。

アメリカ映画の観すぎなんだよね、きっと。アメリカ映画はあくまで男の理想としての女を描くから、女にも男を愛する能力があるように描かれている。また実際の世界の女も、男女同権を主張しているがゆえに、男化しようとがんばりすぎてるので「自分にも男を愛せる能力がる」と勝手に勘違いしている。だからアメリカ映画はあれでいいのだ。
しかしフランス映画ではもっと冷静だ。フランスにかぎらず、ヨーロッパ映画はそういうものかもしれない。ミケランジェロ・アントニオーニの映画でも女の「男を愛するの力のなさ」を説いているが、フランス映画でもそれはしばしば説かれている。この映画もその一つだろう。

ツボが分れば映画の趣旨は理解できるが、だからといっても面白いかと言われればまったくそんなことはない。ただの時間の無駄である。これでエマニュエル・ベアールが脱いでくれてるならまだ救われるが、それもないし・・・。まさに、時間の無駄映画であった。

by ssm2438 | 2008-11-07 20:30


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