西澤 晋 の 映画日記

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2010年 01月 26日

太陽の子 てだのふあ(1980) ☆☆

f0009381_15483740.jpg監督:浦山桐郎
原作:灰谷健次郎 『太陽の子 てだのふあ』
脚本:浦山桐郎
撮影:安藤庄平
音楽:真鍋理一郎

出演:
原田晴美 (芙由子=ふうちゃん)
河原崎長一郎 (おとうさん)
ひめゆり部隊の女子大生 (大竹しのぶ)

        *        *        *

浦山桐郎といえば『キューポラのある街』『暗室』しかみたことはない。『暗室』に関しては浦山桐郎が撮ったことすら知らなかった。たまたまテレビをつけたら、神戸の町を見下ろす高台に妙に可愛らしい子発見、しばらく見ていると、一緒にいるお父さんらしい人が近所の高校の女子高生の合唱の声ききパニックになる。・・・なんだこの映画は??ってみてたらタイトルが出てきた。まだ始まったばっかりだったのでもったいないのでそのまま見ることにした。その映画がこれ『太陽の子』、沖縄の言葉で「てだのふあ」と読ませるらしい。

とにかくふうちゃん演じる原田晴美が圧倒的に可愛い。潔い。可憐だ。

彼女みたさにこの映画をずっと最後までみていたようなものだ。データを調べてみたのだがこの映画にしかでていない。今はどこで何をされているのか・・。この映画が公開されたのが1980年、劇中の彼女は小学6年生~中学1年生なのだが、どうみても14~5歳に見える。ということは生まれたのは1965年前後か・・、私よりほんのすこし若いだけだ。年代的に親近感を覚えてしまった。しかし、『キューポラのある街』の吉永小百合といい、この映画のふうちゃんといい、浦山桐郎はこういう可憐で健気な女の子を演出するのが実は上手かったのかもしれない。ちょっと他の作品群もチェックしてみる必要があるかもしれないと思った。
さらにやたらと熱血漢の若造がいるなあっと思えば、なんと『アイアンキング』石橋正次ではないか!?なんだか懐かしい。

物語は、神戸で沖縄料理の店「てだのふあ」を営んでいるふうちゃん(原田晴美)の一家とその店に集う人たちの沖縄にまつわるエピソードを回想しつつ、沖縄戦の傷跡をさりげなく暴露していく。「沖縄の歴史を勉強しよう」映画。そのへんが押し付けがましいのだが、ふうちゃんの可愛さに免じて我慢して見るた。

<あらすじ>
戦後まもなく、芙由子の両親は沖縄から神戸に移民してきた。当時の沖縄はまだアメリカ占領下であり、日本に来るにはパスポートが必要だった時代のことだ。芙由子はそんな両親のもとに生まれた神戸っ子。
しかし彼女の父(河原崎長一郎)は、いまだに戦時中の記憶に悩まされていた。

彼は少年時代に沖縄戦を経験し、少年兵だった彼は負傷して動けなかったところをひめゆり隊の女学生(大竹しのぶ)に助けられる。戦火のなか、彼をおんぶして看護地まで走る女学生。看護地でぐったりしている彼に「私はひめゆり隊として死ぬ覚悟は出来ている。でも、あんたはまだ死んじゃだめよ。無駄に死ぬのだけはダメ」と力強く語る。
なんとか戦火の中を『戦場のピアニスト』のように逃げのびる少年も南部の海岸線に追い詰められたよる、女学生の合唱の声を聞く。明日は自爆して死ぬだろうという夜、月明かりの下でそれまで来ていた泥や血にまみれた服を脱いできれい学生服に着替えている女学生たちの集団であった。その中には、彼を助けてくれたあの女性もいた。
夜が明け、アメリカ軍が迫り「オジョウサン、シンデハダメ」と拡声器で呼びかけるが、手りゅう弾を手に崖から飛び降り爆死していく女子学生たち。それをいたたまれない思い出岩の陰からみている少年。自分の臆病さが許せないのだろう。でも出て行った戦う勇気もない、ひたすら隠れて逃げ続けるしかない・・そんな劣等感が彼を後々まで苦しめているのだ。
物語の最後に彼は自殺する。
父の遺骨をもって母と共に父の故郷である波照間島にもどる芙由子。葬儀のあと父が生前話してくれた波照間の青い海に向かって歩いていく芙由子の前に、やはり海へむかってあるいていく男の姿がみえる。かすかに振り向いたその顔はは父の顔であった。父の姿をおって海岸にでたふうちゃんは、日本領土をしめす国旗のもとにある記念碑に泣き崩れる。
「なんでほんとのことを話してくれないの・・」

・・・話せるわけないよね。人は誰も悔しすぎて、誰にも話さず墓場までもって行くべきことのひとつや二つはあるもの。

by ssm2438 | 2010-01-26 15:59


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