西澤 晋 の 映画日記

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2011年 08月 01日

チャイナタウン(1974) ☆☆

f0009381_219338.jpg監督:ロマン・ポランスキー
脚本:ロバート・タウン
撮影:ジョン・A・アロンゾ
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:
ジャック・ニコルソン (私立探偵ジェイク・ギテス)
フェイ・ダナウェイ (殺されたモーレイの妻、イブリン)
ジョン・ヒューストン (イブリンの父、ノア・クロス)

        *        *        *

ロサンゼルス近郊の砂漠地帯にできるだろうダムを巡り、その後沸騰するであろう土地の利権をめぐるサスペンス。その地域にダムを建設されることをみこして安い土地を買いあさった地元の有力者ノア・クロス(ジョン・ヒューストン)にとって、ダム建設に反対だった建築技師ホリス・モーレイはやっかいな存在。そんなモーレイに不倫疑惑をきせ、自殺にみせかけて殺す。その謎をおっていく私立探偵ジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)のハードボイルド・サスペンス。

なかなかいい雰囲気なのだが、一言でいうと「ムードだけの映画」。ジョン・A・アロンゾが撮った画面の色調はとてもいい。1930年代を再現した美術もすばらしい。ジェリー・ゴールドスミスの音楽もいい。アクションもいい。ヒロイックな記号的なアクションではなくも見合うだけのようなより本物にちかいアクション。黒澤明『野良犬』の最後の格闘シーンをおもいおこさせるような普通のアクションでありすごく真実味がある。
・・・・・しかし、語り口が下手なのだろうな、話が分らない。登場人物の顔と名前が一致しないまま物語を進めていくので、話がみえないのである。

人間の記憶が成立するのは、一つのことが、別のことと関連した時である。英単語を覚えるにのも、その単語の意味を調べただけで認識されない。その単語を覚えているうちに、別の文章のなかでその単語に出会い、その関連性が一致した時にはじめて「その単語を覚えた!」ということになるのである。
物語を語るのも同じ。一人の登場人物が登場し、そこで名前が判り、後のシーンでも同様にその人が〇〇という人なのだとわかれば、登場人物の顔と名前が認識される。この映画はそれがなされないまま進むのである。映画やドラマを作る側になりたい人、ぜひとも覚えておいてほしいポイントだ。

具体的に言うと、撮られるべきアップが撮られてないというのが問題なのだ!!!

たとえばダム建設技師ホリス・モーレイの顔のアップがない。
浮気調査を依頼されたジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)がホリス・モーレイの素行調査をおこなっていく。しかし、スクリーンにその人が映っていても、それがホリス・モーレイだと確認・認識できないのである。調査を調べていくと、どうやらそのモーレイらしき人物は、白いブラウスをきた若い女の子と楽しそうな時間をすごしているシーンが出てくるが、ここでもアップ一つが抜かれないので、それがほんとにモーレイなのかどうか認識できない。
あとからネット等であらすじをしらべてみると、それが確かにモーレイであるということで物語りは進行しているが、見ているときはそれが誰かわからないのだ。

同様に一緒いる若い女はキャサリンといい、後にモーレイのホントの妻、イブリン・モーレイ(フェイ・ダナウェイ)の娘(モーレイの立場から言うと妻の連れ子)であることがわかる。しかしこのシーンでもキャサリンのアップがないために、後に登場した時に「それがあのときのモーレイと一緒だった女だ」とは認識しづらいのである。

これらの問題は、浮気調査の依頼をする時に、モーレイの顔写真のアップをひとつ抜いてやれがいいことだし、キャサリンとのボートにのっている時のシーンも、岸から事務所のほかのスタッフが望遠レンズで盗み撮りしてきちんとアップをいれればいいだけのことだ。

ほかにもいっぱいある。
本物のミセス・モーレイの家を訪れるてみると、池の中に何か光るものを発見する。ここでもアップが一つないので、何が、それなのかわからない。
地元の有力者ノア・クロス(ジョン・ヒューストン)とホリス・モーレイが一緒にうつっている写真があるが、ここでもふたりのアップがないために、既にクロスとモーレイが口論しているところを移された写真が登場していたにもかかわらず、それがノア・クロスとモーレイなのか確実に認識できない。
偽のミセス・モーレイはアイダという女性なのだが、この人はのちに殺されて発見される。このときも、殺されたアップがないので、ほんとにあの偽者ミセス・モーレイなのかどうか見ている人に認識されない。

「この人がこの人である」を確立しないまま物語を展開するのが、この映画の最大の欠点だ。おかげでサスペンスとしての謎解きのわくわく感がまったく機能していない。ゆえに見続ける緊張感が失われてしまう。劇場でみないと途中リタイヤする映画。私なんか3回にわけてみてやっと終わりまでたどり着き、そのあとさらにネットでストーリー確認してから、さらにもう一度登場人物の名前を顔を一致させながら見て、やっと事の流れがわかった。
そもそも、サスペンスで「この人がそうなのかなあ~」はサスペンスでは「その人でない可能性がある」を意味する。現に最初にミセス・モーレイは偽者だったのだから。


さらに、肝心なところがあいまいだ。
殺されたホリス・モーレイの妻イブリン・モーレイ(フェイダナウェイ)は、子供の頃父ノア・クロス(ジョン・ヒューストン)に犯されて子供を生んだ。それがキャサリン。その後イブリンはメキシコに家出。追ってきてくれたノア・クロスのパートナーであるホリス・モーレイのやさしさに感化されたのか、彼と結婚したというのが裏の話だが、これが物語りにまったく生かされていない。

表向きは「ダム建設に反対するパートナーだったモーレイが邪魔になり殺した」ということだが、実は「自分が愛して子供までうませた娘イブリンを寝取った男としてモーレイが許せなかった」という意味で殺しただった・・ならドラマとして成立する。
あるいはキャサリンにふってもいいだろう(こちらのほうがいいかもしれない)。「娘の連れ子キャサリンと仲良くなったモーレイに嫉妬したノア・クロス、実は、娘だけでなく孫娘まで手にかけようとしていた。それを守ろうとしたイブリン」・・、このスタンスでまとめるのもいいだろう。

どっちにしろ、ドラマのなかで、その男を殺す動機を二つ提示するなら、一つはダミーでもう一つが本命だったってところをきちんと表現してくれない以上、ドラマとして不完全としかいいようがない。
雰囲気がいいだけに、もったいない映画だ。
私がプロデューサーなら「作り直せ!」と言いたい。

by ssm2438 | 2011-08-01 19:27


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