西澤 晋 の 映画日記

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2010年 02月 09日

インビクタス/負けざる者たち(2009) ☆☆☆

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監督:クリント・イーストウッド
脚本:アンソニー・ペッカム
撮影:トム・スターン
音楽:カイル・イーストウッド/マイケル・スティーヴンス

出演:
モーガン・フリーマン (ネルソン・マンデラ)
マット・デイモン (フランソワ・ピナール)

        *        *        *

クリント・イーストウッド監督作品でも泣けるぞ
(どうも私だけらしい・・はは)

世間ではやたらと高い評価をうけてるようなクリント・イーストウッドではあるのですが、どうも個人的には好きになれない監督さん。
この人の演出はど下手だと思う。たぶん原作がいいのでもっているのだろうけど、この映画に関してもかなりど下手ぶりを露呈している。一番問題なのは、ネタをふっといて、それを消化しないまま次にいっちゃうところがやたらと目についた。このへんでくるかな・・このへんでくるかな・・って思ってもこないんだ。“そういえばあの問題、どうなったんだっけ?”っていうのけっこうあったような・・。
音楽も全然印象にのこらないし、なんであんなとところで飛行機のシーンだすかなあ・・。べつにジャンボが上空通過してもいいんだけど、ジャンボを横からとった画があまりにCGぽくって一気にさめる。あそこだって、さそんなCG画面なんかいれなくって、くるぞくるぞくるぞって音だけ流して、観客あたふた・・、上空通過すると「頑張れボッカ!」の文字が飛行機の下に書いてある・・、で、しばらくばたばたしてると空港管制センターから事情説明の電話がくる・・とか。これならダサいCGみせなくていいし、先にコックピットみせなくていいし(コックピットの中は通過してからにしてほしいものだ)・・。
ロベン島の政治犯強制収容所にいくのも、なんであのタイミングなん??? 大会中に、それも朝の6時におきてランニングして、港へいくか?? そんなのもう2月くらい前にするだろう・・・普通。 おまけに自国でのワールドカップが行われるとなると普通強化合宿とかするだろう。監督・コーチをもっと絡ませて、しっかり戦略ねって、オーストラリアなんかに勝つにはどうしたら勝てるのかとか・・真剣に分析してるところなんかを出してほしかった。あるいはどうやったらニュージーランドの選手を食中毒にさせるられるか・・でもいいし。
(敗者の言い訳とも、陰謀説とも言われているが、実際、決勝戦の2日まえから食中毒にかかり、ニュージーランドの選手の半数は体調不良だったそうな・・)
とにかく演出の下手さに関する不満はいっぱいあるのだけど、・・・・それでも私はこの映画でけっこうぼろぼろ泣いていた(苦笑)。
スプリングボックスの人たちって、あんな状況下でラグビーをずっとしてたんだ・・。白人には応援されても、同じく二の黒人は相手チームを応援する・・。ワールドカップは誘致しても自国民に応援されないラガーマンなんて・・・なんだかとっても切なかった。そんなスプリングボックスが黒人層にもだんだんと受け入れられるようになっていく。それが、すこしづつ変わっていく南アフリカの白人と黒人の対立関係を変化を象徴的にえがいてたのだろうな・・。国民に受け入れられてフィールドに立つスプリングボックスの面々をみてるとなんだがぼろぼろきてしまった・・・。
なので、☆ひとつおまけ。

しかし、物語の初めのころ、スプリングボックスって、めちゃめちゃ弱そうに描かれていたが、あれは映画的なデフォルメであって、当時のスプリングボックスはとても強かった。当時は一番強かったのはオーストラリアで、その次はイングランドか南アフリカって言われてたとき。実は最強とうたわれてオールブラックスは、第二回のワールドカップのあと、ベテランから若手への切り替えがスムーズにいってなくって、第3回のワールドカップ前はあまり評判がよくなかった。ただ、ふたを開けてみると圧倒的に強かった(笑)。さすがニュージーランド。しかし、ふたをあけてみて強かったのはニュージーランドだけじゃなくって、南アフリカも強かった。それまでオーストラリアはテストマッチで負け知らず、10連勝以上してたと思う。そんなオーストラリアと同じ予選を戦って、勝ってしまった南アフリカ。やっぱり実力はあったのだと思う。
さらにもうひとつ、いままでラグビーのワールドカップは6回行われたのだけど、優勝確立が一番高いのは南アフリカ(1995年優勝、2007年優勝)。4回参加して2回優勝してる(最初の第2回と第2回大会はアパルトヘイトのために出場をゆるされてなかった)。

<あらすじ>
f0009381_11122639.jpg1994年、南アフリカでは初めて全国民参加の選挙が行われ、ネルソン・マンデラ大統領(モーガン・フリーマン)が誕生した。スポーツ評議会では白人文化の象徴であるスプリングボックス(南アフリカのラグビー代表チームの愛称)の改名など議題にあげられ全員一致(すべて黒人)でこれを決定してしまう。しかし、ネルソン・マンデラはこれを覆す。名前が残された「スプリングボックス」は民族融和の象徴として変わっていくことが求められた。
ワールドカップ開催まであと1年、自国で開催されるワールドカップで優勝する使命を担い、なおかつ黒人社会との融和という政治的キャンペーンの一環にも参加させられるスプリング・ボックスの面々。不満をもつ選手たち(ほとんどが白人)もいるが、すこしづつ彼らの存在は南アフリカの国民に浸透していった。
そして1995年5月、ここ数年無敗をつづけていたオーストラリア・ワラビーズに土をつけ、予選リーグをトップで通過。6月の決勝トーナメントでは、サモアを42対14で突破、フランスには苦戦したが19対15でからくも勝利、そして暴走機関車ジョナ・ロムーを擁するニュージーランドオールブラックスと決勝で対戦する。フィールドに駆け出すフィフティーン。総ての南アフリカ国民がスプリング・ボックスを応援した。

by ssm2438 | 2010-02-09 11:13


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