西澤 晋 の 映画日記

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2010年 02月 19日

渚にて(1959) ☆☆☆☆

f0009381_18593187.jpg監督:スタンリー・クレイマー
脚本:ジョン・パクストン/ジェームズ・リー・バレット
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ/ダニエル・ファップ
音楽:アーネスト・ゴールド

出演:
グレゴリー・ペック (ドワイト・ライオネル・タワーズ艦長)
エヴァ・ガードナー (モイラ・デヴィッドソン)
フレッド・アステア (ジュリアン・オズボーン)
アンソニー・パーキンス (ピーター・ホームズ)

        *        *        *

考えられるユートピアのもっとも妥当な描き方はこれだ!

タイトルはロマンチックだが、内容はSFに属する(当時の)近未来SF。1959年に制作されたこの映画の部隊は1964年の北半球を包み込んだ全面核戦争後の世界(実際起こらなくてよかった・・)。北半球は放射能に汚染された南半球にもその汚染はこくこくと近づいていた。そんな状況下で、戦火を逃れたアメリカの原子力潜水艦がオーストラリアに寄港する。
2000年に『エンド・オブ・ザワールド』としてMTVも制作された。タイトルセンスはまるでダメだが、映画の内容的にはまったく引けを取らない素晴らしい出来だった。個人的には『エンド・オブ・ザワールド』のほうが好きである。

物語は悲惨な話なのだが、圧倒的に安らぎを感じる映画に仕上がっている。あまたの宗教の説法では感じられない安らぎである。それは競争原理の排除から生まれたことだと思う。
生命として生まれた以上競争原理のなかに組み込まれている。まだ決定されていない未来がある以上、今日を努力し、競争に負けない自分を構築していかなければ成らない。この宿命からは逃れられないものだ。しかしこの映画は、未来を奪ったのである。誰がどんなに頑張ってもどうせ死ぬのである。この状況が競争原理を亡きものにしてしまった。そこではひたすらピースフルな世界が展開される。
自動車レースにしても楽しみのためのレースでしかない。それまで降るスロットルで走ったことのない人たちが、一度は思いっきりアクセルを踏んでみたいという願望を体験している時間でしかない。事故して死のうが、ちんたら走ってゴールしても、どのみちあと数週間で死ぬのである。

この状況下で競争原理の排除=ユートピアという概念を実現させた物語の発想は素晴らしい。

<あらすじ>
オーストラリアのメルボルンに寄港したアメリカの原子力潜水艦ソーフィッシュ号の乗組員たちは、しばし陸に下りて魂に安らぎをあたえる。タワーズ艦長(グレゴリー・ペック)はモイラ(エヴァ・ガードナー)という女性としたしくなる。そんな時、全滅したと思われたアメリカ合衆国のサンフランシスコから謎のモールス信号が断続的に発信されて来る。ソーフィッシュ号はトーストラリア政府との協議により、人類生存の可能性をたしかめるべくシアトルに向かうことになる。これにオーストラリア科学工業研究所の研究員ジョン・S・オスボーン(フレッド・アステア)とオーストラリア海軍少佐ピーター・ホームズ(アンソニー・パーキンス)らも同乗することになった。
到着したサンフランシスコは死の町と化していた。サンディエゴで死滅したはずの町から発信されている無電を調査した乗組員は、それが風のいたずらであることを知った。乗組員たちは絶望する。乗組員の決により艦はメルボルンに帰港することを決定するが、サンディエゴをふるさとにもつ乗組員の一人は故郷に残ると逃亡する。乗組員も彼の逃亡を承認する。いよいよメルボルンに向かって帰るというとき、彼はゴムボートの上でひとり釣りをしてた。その横にぬもおおおおおおおと潜望鏡が浮上する。外部マイクと使ってお互いに別れを交わす。この違和感がとても素晴らしい。

メルボルンに戻ったソーフィッシュ号の乗組員たちは、今後の見の振り方をきめなければならない。そうするうちにもオーストラリアの各都市から死滅の便りがとどいてくる。なにをどうあがいても死ぬしなかい運命を受け入れるしかない。人々はのこりに時間を静かに、さわやかに謳歌する。自動車レースが開かれ、自動車狂のオスボーンは愛車のフェラーリを心行くまで飛ばした。そして優勝。タワーズとモイラは山小屋で一夜を明かした。街では自殺用の薬が配給された。ピーターと彼の妻は、子供を間に薬を飲んだ。オスボーンは車庫を密閉し、フェラーリのエンジンを全快にして排気ガスで自殺した。ソーフィッシュ号ではアメリカに帰国することが決定した。乗組員の決定にしたがいタワーズもモイラへの想いを断ち切って艦に乗った。モイラは渚でいつまでも潜水艦を見送った。

『エンド・オブ・ザ・ワールド』のラストでは、沖へ出て行く潜水艦を見ながらワインをかかげ
「私がもっとも一緒にいてほしい時に私を見捨てた男」気丈にひとりで乾杯をするが、タワーズ(アーマンド・アサンテ)は戻ってくるのである。彼は乗船しなかったのだ。
私はこちらのラストほうが好きだ。

by ssm2438 | 2010-02-19 19:07


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