西澤 晋 の 映画日記

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2011年 02月 28日

日本のいちばん長い日(1967) ☆☆☆☆☆

f0009381_13343824.jpg監督:岡本喜八
原作:大宅壮一「日本のいちばん長い日」
脚本:橋本忍
撮影:村井博
美術:阿久根厳
音楽:佐藤勝

出演:
笠智衆 (鈴木総理)
三船敏郎 (阿南陸相)
高橋悦史 (井田中佐)
井上孝雄 (竹下中佐)
中丸忠雄 (椎崎中佐)
黒沢年男 (畑中少佐)

        *        *        *

戦争終結のために命を懸けて決断した男たちと、それに命をかけて反対した男たちの壮絶な1日

f0009381_2051474.jpg私がこの映画もとになっている『宮城事件』のことをはじめて知ったのは、まだ小学校の時だった。それはタツノコプロが作った『決断』というアニメの25話「最後の決断」
1945年8月14日の深夜から15日にかけて、一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件である。戦勝終結を宣言する玉音放送のレコードを守った人と、戦争終結に反対し、それを奪おうとした一部の陸軍兵士によるクーデターの話だった。そのドラマのリアリティと重厚さに感動した。当時はそれがこの事件のことだとは知らなかった。
それ以前からも映画はやたらと見ていたが、アニメーターになってからさらに見る本数も増えた。映画雑誌を買っては有名な映画の勉強もした。そのなかにこの映画『日本のいちばん長い日』の記述もあり、それが子供の頃に見た『決断』の25話に似ていたのを思い出した。あんなアニメが作れたあの時代はよかったなあ・・とつくづく思うものである。

<あらすじ>
1945年8月6日と9日に広島、長崎に原爆が投下され、さらに満州においてはソ連も日ソ不可侵条約を反故にして参戦してきた。政府内部では鈴木首相(笠智衆)を中心に、ポツダム宣言の受諾を支持する意見が強まっていた時期である。
10日午前0時から開かれたこの御前会議の席上で、天皇の地位保証(国体護持)を条件としてポツダム宣言の受諾が決定された。この決定はスイスとスウェーデンの日本大使館員を通じて連合軍に通達された。これを受けてサンフランシスコ放送は連合国の回答として、「天皇および日本政府の国家統治の権限は連合国最高司令官に従うもの (subject to) とする」と放送した。国体護持の要請に対して、外務省はこの文章を「制限の下に置かれる」解釈、終戦を進めようとしたのに対して、陸軍は「隷属するものとす」であると解釈し、阿南陸軍相(三船敏郎)は天皇の地位が保証されていないとして戦争続行を唱えた。
14日、鈴木首相は陸軍の妨害を排するため、天皇出席の上での御前会議開催を招集、全閣僚および軍民の要人数名を加えたその席上で、昭和天皇に聖断の要請、これを受けて昭和天皇は連合国の回答受諾を是認し、必要であれば自身が国民へ語りかけると述べて会議は散会された。軍令部にもどった阿南陸相は、終戦反対派の陸軍青年将校はクーデター計画を練っていたが、御聖断が下った上は、それに従うべきであると悟した。

内閣では終戦処理の閣議が開かれ、陛下の終戦詔書を宮内省で録音し八8月15日正午、全国にラジオ放送することが決った。その夜、天皇陛下の録音は宮内省二階の御政務室で行われ、玉音放送用の2枚のレコード『正』と『副』が製作され、皇后宮職事務室内の軽金庫に保管された。
その頃、竹下中佐(井上孝雄)、椎崎中佐(中丸忠雄)、畑中少佐(黒沢年男)らはクーデターを強行しようと近衛師団長森中将(島田正吾)を説得、反対されるとこれを殺害、玉音放送を中止すべく、その録音盤を奪おうと宮城を占拠してしまう。一方東部軍管区司令部へクーデター参加を求めた井田中佐(高橋悦史)は、東部軍幹部はクーデターの鎮圧を決定していた。宮城にもどった井田中佐は、畑中ら3人を説得、朝までに軍を退くように説いて去る。しかし原版を見つけることの出来なかったか彼らは東京放送も占拠、戦争継続の意を放送させようとするが、局の館野守男(加山雄三)は銃を突きつけられてもこれを拒否しつづける。一方佐々木大尉(天本英世)の率いる一隊は首相官邸を襲撃し放火、さらに平沼枢密院議長邸を襲った。しかし彼らは先に連絡を受けており、別の場所に退去していた。

午前6時、陸軍の失態の責任をとり、阿南陸相は自宅で腹を斬り、それだけでは死に切れず震える手で首の頚動脈を斬り自害する。放送会館では東部軍からの電話連絡を受けた畑中少佐が放送を断念し、守衛隊司令部では拘束されていた下村情報院総裁らが解放された。2枚の録音盤は皇后宮職事務室から運び出され、いかにも正式な勅使らしい偽物を仕立てつつ、本物は粗末な袋に入れて木炭自動車で放送局に運搬された。最後まで抗戦を諦めきれなかった椎崎中佐と畑中少佐は宮城周辺でビラを巻き決起を呼び掛け、二重橋と坂下門の間の芝生上で自殺した。
そして正午過ぎ、ラジオから君が代が流れた後、玉音放送が行われ戦争は終結した。

日本を変えた、怒涛の1日の映画であった。
岡本喜八の最高傑作はやはりこれだろう・・・・すごい。

by ssm2438 | 2011-02-28 13:35


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