西澤 晋 の 映画日記

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2010年 03月 04日

晩春(1949) ☆☆☆☆

f0009381_133360.jpg監督:小津安二郎
脚本:野田高梧/小津安二郎
撮影:厚田雄春
音楽:伊藤宣二

出演:
笠智衆 (曽宮周吉)
原節子 (曽宮紀子)

        *        *        *

『のび太の結婚前夜』をみたとき、これだ!っ手思った。

もっとも私の見たのは、テレビシリーズで放映されたやつで、後に劇場公開されたものではない。一応劇場公開されたものも見たのだが、なんだか昔テレビシリーズの一話としてみた『・・の結婚前夜』のほうがよかったような印象があったが・・・なぜだろう。もっとも子供のときの記憶なのでどこまで私が覚えているのかはかなり怪しいものだが。

『東京物語』をみてない私にとっては小津といえばこの『晩春』である。3年前くらいになるかな、サンライズで演出講座なるものを開いた時に、スタンダードな画面構成の基本としてこの『晩春』を見てもらった。小津は50ミリ(スチールカメラの72ミリ=弱望遠)でしかとらないという話をきいていたので一番参考にしやすいだろうと思ったわけだ。なんでも80ミリもつかってみたことはあったようだが、結局50ミリに落ち着いたようだ。
個人的には木村大作の望遠が好きな私だが、日常芝居となるとはやりこのくらいの弱望遠が一番落ち着く。ただ、実際描くとなると一番難しい画面になる。どんなに下手な人でも描ける広角もどきなら誰でも描けるし、露骨な望遠ならもうすこし頭のいい人ならかけるのだけど、このちょっとだけ望遠というのは一番自然な画面であがゆえに一番難しい画面だとおもう。これがかけるようになったらアニメーターとしては合格だろう。

しかし、小津の画面というのはかなり小細工もされている。たとえば笠智衆とその助手がならんでなにやら物書きなどをしてるシーンがあるが、ぱっとみすごくきれいなレイアウトなのだが、実はインチキ画面だったりする。ほんらいあのシーンは二人が並んでいないといけないのだけど、画面にみせるために机一個分ずらして座っているのだ。リアリティ重視の画作りではああいうことは出来ないが、人物をみせるためには少々の小細工はつかわれている。もっとも、こういう映画的なキャラをみせるためのトリックはどの映画でもつかっているもので、小津の映画にかぎったことではない。
あと、この時代の映画というのは、恐ろしいほどしゃべる人を撮る。その台詞があるたびにその人のアップをとられるのでちょっと気持ち悪い。今の時代ではもうちょっとカット割りに自然さをもとめるのだろうが、この時代ではあれがスタンダードだったのだろう。

<あらすじ>
早くから妻を亡くした大学教授の曽宮周吉(曽宮周吉)は娘の紀子(原節子)と二人で鎌倉に住んでいた。そんな法子はもう27歳になっていた。気が気でない周吉は、何んとかして紀子を結婚させようとするが、紀子は首を縦にふらなかった。一度は助手の服部と紀子を結ばせようと考えていた周吉だが、服部にはすでに許婚があると聞いて新に候補者をすすめるのであった。
一方、叔母のまさ(杉村春子)は茶会で知った三輪秋子という美しい未亡人を心の中で兄の周吉にと考え、紀子話してみたが、紀子は自分の結婚よりも父の再婚に気をとられてしまう。紀子は、ある日紀子は父に再婚の意志を聞き正してみた。父は再婚するという返事たっだ。紀子は、最後の旅行を父と共に京都に言った。京都から帰った紀子はすぐ結婚式をあげた。周吉は娘の紀子を新婚旅行に送ったあと、北川アヤに再婚するのと聞かれ、「ああでも言わなければ紀子は結婚せんからね」と答えるのであった。

by ssm2438 | 2010-03-04 01:04


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