西澤 晋 の 映画日記

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2011年 02月 12日

叫びとささやき(1972) ☆☆☆☆☆

f0009381_2514694.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト

出演:
イングリッド・チューリン (長女・カーリン)
ハリエット・アンデルセン (次女・アグネス)
リヴ・ウルマン (三女・マリア)
カリ・シルヴァン (侍女・アンナ)

        *        *        *

イングマル・ベルイマンの怒涛の演出力を見よ!

スゴイ映画が。人間の内なるおぞましさをさんざんと見せえつけておいて、最後は一番幸せだった時の思い出をひきだしてきて、人間性の美しい部分もみせてくる。これは『野いちご』のラストと同じ構成だとはいえるかもしれないが、・・・すさまじい映画だ。これだからベルイマンはやめられない。実はこの映画と『秋のソナタ』はLDを持っている。この2本は宝物だよ。

19世紀末らしい。長い闘病生活で死期の近づいた次女アグネス(ハリエット・アンデルセン)を見守るために長女カーリン(イングリット・チューリン)と末娘マリア(リブ・ウルマン)、そして侍女のアンナ(カリ・シルヴァン)がつきそっている。そこで語られる人間のもつおぞましさ。そう、この映画は人間のおぞましさをあますところなく存分に描き出している。

長女のイングリット・チューリンは理性の人で、人に触れられることを極端に嫌っている。心からのふれあい、肌のふれあいに嫌悪感をもっているのである。ひさしぶりにあった旦那とセックスするのがいやで、壊れたグラスのかけらで自分の性器を斬り、出血させ、生理を装う。これであなたは私をだけないわよね・・とばかりに股間から流れ出るんちを口のまわりにぬりたく。それじゃあキスもできんだろうなあ。こういう演出がすさまじいい。
イングリット・チューリンが「嫌いなものは嫌い」といってしまえるのに対して、リブ・ウルマンは決して本性を明かさない女。表面的には馴れ合いを求めているようでも、その仮面のしたは、決して自分をみせない卑怯者。表面的には猫のように艶やかで、人間性があるふれるように装っているが、その卑怯さに姉のイングリット・チューリンはリブ・ウルマンを嫌っている。
しして次女のハリエット・アンデルセンは、病魔におかされている。このあえぎ方はベルイマン独特のセンス。『沈黙』でも、病気のイングリット・チューリンがあえぎまくっていたが、後に、黒澤明『赤ひげ』のなかでこのあえぎを再現していた。この病気もだえ演出は実におぞましい。人間の逃れられない死の恐怖と、それを迎える肉体的な痛みを前面に打ち出している。そういえば『秋のソナタ』にも小児麻痺の女の子がのたうっていた。
そんなおぞましさのなかで、侍女のアンナだけは愛を表現している。このコントラストが実に素晴らしい。

そして、貴族描写もヴィスコンティに負けていない。食事も、ベッドも、装飾品も、総てが貴族風味。そしてイングリット・チューリンの着替えのシーンのすごさ。この重厚さだけでおおおおおおおおおって思ってしまう。こんな服着てたら、そら一人じゃ着替えもできんだろうなって。

さらにもうひとつ、撮影はスヴェン・ニクヴィストに変わっている。白黒時代はグンナール・フィッシャーが多いという印象だったが、カラーになるとスヴェン・ニクヴィストが多いと思う。この人も才の豊かな撮影監督さんだ。
実はこの映画、1973年のアカデミー撮影賞を撮っている。英語圏の映画しか対象にはならないと聞いていたが、撮影に関してはどこの映画でもいいってことなのだろうか・・。

<あらすじ>
時は十九世紀から二十世紀に移る頃の秋である。長年闘病生活をしていたアグネス (ハリエット・アンデルソン)はいよいよ死期を迎えようとしていた。彼女の世話は侍女のアンナ(カリ・シルバン)がしていたが、姉のカーリン(イングリット・チューリン)と妹のマリア(リブ・ウルマン)が駈けつけてきた。
姉のカーリンは人との接触を拒む理性の人。世間には貞淑な妻と見せかけていたが、心は常に冷え切っていた。末の妹マリアも結婚し、子供のいたが、彼女自身大きな子供のようなもので、美しくして人眼をひくことにしか関心を示さず、決して自分をさらすことはなかった。そしてアグネスの主治医であるダーヴィッドと情事をかさねていた。
やがてアグネスは死んだ。カーリンとマリアの旦那が来た。
マリアの旦那は、主治医が昨晩泊まったことをしると、ことの次第を理解した。一方カーリンは旦那と肌を触れあるのを極端に嫌っていた。しかし食事の後にはセックスの時間がまっている。同様でワイングラスを倒して壊してしまう。ドレスを脱ぎ、ナイトドレスに着替えたカーリンは、侍女のアンナを遠ざけ、壊れたグラスのかけらで自らの性器を切り裂き出血させる。これでセックスはお預けである。
カーリンとマリアがアグネスの日記を読むと、そこには友情や神の恵みについての言葉があふれていた。彼女がそれを心から感じていたのか、それともそれらに飢えていたのか・・・。カーリンはマリアへの憎しみを正直に口にしてしまう。大人の態度でなかったことを謝ると、二人は思いの総てを吐き出すように語り合った(・・しかし、マリアはその振りをしていたといったほうがいいかもしれない)。
その夜、侍女の誰かのアンナが泣き声を耳にする。そのほうへ向かうと、カーリンとマリアが魂が抜けたようにたたずんでいた。そしてその部屋に向こうにはアグネスの屍があるがずだったが・・・、彼女が泣いていた。
死んだはずのアグネスが目から涙をこぼしていたのだ。カーリンに救いを求めるが、彼女はアグネスを愛していないと冷たく言い放つ。次に、マリアがアグネスに呼ばれる、最初は愛想をふりまっていたが、死人であるアグネスに抱き疲れると恐怖から突き放してしまう。やはりマリアも彼女を愛してはいなかったのだ。
アンナだけが「私が面倒をみます」といい、二人を締め出してアグネスのベッドにはいる。母親に甘えるようにアンナの膝に頭をもたれて再び永遠の眠りにつ。

カーリンとマリア、そしてその家族がさったとの屋敷でアンナはひとりアグネスの日記を読む。
「姉妹三人が昔のように集まったので、久しぶりにそろって庭を散歩する。明るい日光、明るい笑い。世界中でいちばん近くにいてほしい人が、皆私のそばにいてくれる。わずか数分間のたわむれだが、私にとっては楽しかった。人生に感謝しよう。人生は私に多くのものをあたえてくれた」・・と記されていた。

by ssm2438 | 2011-02-12 02:51 | I ・ベルイマン(1918)


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