西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2010年 04月 01日

最後通告(1998) ☆

f0009381_1122683.jpg監督:レディ・M・ムーラー
脚本:フレディ・M・ムーラー
撮影:ピオ・コラーディ
音楽:マリオ・ベレッタ

出演:
ハンスペーター・ミュラー (アナトール・ワッセー)
リロ・バウアー (イレーネ・エッシャー)
ベネディクト・フライターク (マックス・エッシャー)
マリーベレ・クーン (エミー・エッシャー)

        *        *        *

満月の夜、子供たちが消える 。

原題は『VOLLMOND』(『満月』のことらしい)。

お話は、ある日突然13人の子供たちが失踪する。その子供たちから「ぼくたちは地球の幸せを望む。しかし大人たちがそれを望まなければ地球はぼくらな帰らない」とメッセージが届く。結局この抽象的な概念では大人たちは何も出来ず、そのまま映画は終了という・・、段取りだけ描いてあとはそのまんまというかなりつまんない映画。メッセージ性のある映画と解釈してあげたいが、はなはな映画としてお粗末過ぎる。大学生の自主制作並の作者のひとりよがり映画であったとさ・・。

『山の焚火』でスーパーヒットをかましてくれたフレディ・M・ムーラーの久々の映画だということで、見に行きましたよ銀座まで・・。当時、いい映画はみんな銀座の単館どまりでなかなか山手線の西側に来ることはなかった。今はけっこうあっちこっちで単館系の映画も、もはや単館でもなく見られるようになってきたが、当時ムーラーの映画を見られるなんてのはなかなかない機会だった。
・・・・しかし、この映画に関してはちょっと・・・・・満足いく出来ではなかった。総てにおいて幼稚さが見えた。演出的にも、予算的にも、シナリオ的にも・・。やっぱりスイスの映画産業事態の弱さを感じずにはいられなかった。『山の焚火』のときはスイスの山奥を舞台だったから、オールロケで大丈夫だったのだろうけど、さすがにカメラは都会に降りてくるとそういうわけには行かない。

<あらすじ>
ある満月の日、イレーネ・エッシャー(リロ・バウアー)はの息子トニーは家をでたまま帰ってこなかった。6歳の娘エミ(マリーベレ・クーン)はトニーが黒人の少年と船にのっていたというが、だれにも取り合ってもらえない。その後、ジャーナリズムが誘拐事件としてセンセーションに報道合戦を繰り広げる。この事件の担当になった警部ヴァッサー(ハンスペーター・ミュラー)はコンピューターの行方不明者のデータから、同じ日に、スイス各地で10歳になる12人の子供たちが何の前触れもなく姿を消していたことをつきとめる。それらの家族の共通点は、彼らがすべて湖のそばに住んでいるということ。
その数後、子供たちから親立ちに手紙がとどく。

「ぼくたちは地球の幸せを望む。
 大人たちがそれを望まなければ地球はぼくらなしに回りつづけるでしょう。期限は次の満月まで」

私はこの時点でこの映画からさめたのを覚えている。現実をファンタジーで解決するドラマなど見たくもない。もし、この世界に問題があるのなら、それを具体的に現実の行いで解決していく姿勢の人々を見せて欲しいとおもうので、この手の映画は嫌いらしい。

業を煮やしたトニーの父はテレビに出演して犯人に直接呼びかけてしまう。おかげで極秘裏に進めてきた捜査が世間に知れ、結局次の満月がきてもなにも手をうてていなかった。結局親たちはテレビ出演して子供たちに直接語りかけることになった。本番中、どこからともなく黒い肌の少年がスタジオに入ってきて、手をこすり、片方の手で目を覆う。すると、行方不明の子供たちの姿がモニターに映し出される。ヴァッサーも試してみると、手で覆った眼前におびただしい数の子供たちが現われるのだった。

・・・しかし、結局子供たちはもどらないまま物語は終劇となる。

by ssm2438 | 2010-04-01 01:13


<< 読書する女(1988) ☆☆☆      グース(1996) ☆☆☆ >>