西澤 晋 の 映画日記

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2010年 04月 01日

読書する女(1988) ☆☆☆

読書する女(1988) ☆☆☆_f0009381_243382.jpg監督:ミシェル・ドヴィル
脚本:ロザリンド・ドヴィル/ミシェル・ドヴィル
撮影:ドミニク・ルリゴルール
音楽:ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

出演:ミュウ=ミュウ(コンスタンス/マリー)

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レイモン・ジャンの同名の小説をミシェル・ドヴィルが映画化。この監督さんの映画は見たことがなかったのだが、この映画はそこそこ気持ちよい。ミュウ=ミュウ演じる主人公は、大の読書好き。その日も朗読を商売をする女性の話を読んでいる。ヒロインが現実と本の中の主人公になりきり、現実と本の中の境界線が曖昧になっていく作りである。

本を読んでくれる人というのには、そのシチュエーションを思い描くだけでとても和やかなムードを感じる。特に私の場合は読書障害があり、本がなかなか読めない。他人によんでもらうほうがはるかに楽なのである。子供の衣、とにかく本を読むのは下手で、国語の授業で当てられて本を読ませられることに恐怖していた。でも、他の人が本を読むのを聞いているのはたのしい。それが授業の国語の教科書にのっているものでもだ。日本の教育システムは、読書障害の人のためのカリキュラムを作るべきだね。

<あらすじ>
読書好きのコンスタンス(ミュウ・ミュウ)は、その日も『読書する女』という本を読んでる。そしていつしか本のなかの主人公マリー(ミュウ・ミュウ=二役)に同化して物語はすすんでいく。

本のなかのマリーは、半身不随のまま思春期を迎る青年エリック(レジス・ロワイエ)にはモーパッサンの官能的な小説。自称100歳というデュメニル将軍の未亡人(マリア・カザレス)と彼女の女中にはトルストイの『戦争と平和』。離婚して一年以上たつ中年社長(パトリック・シェネ)のために、マリーはデュラスの『愛人』を読んでやる。彼の目的は彼女の肉体にあるらしく、マリーは彼に誘われるまま身体を許すが読書はそのまま続けている。
マリーの股間に顔をうずめてクンニをしてあげる彼が、ミュウ・ミュウの陰毛がくちにはいって喉にはりついたらしく突如、かああああああっ、かああああああっ、ぺっぺっってやりだす。いやいやあれは私も経験があるが、なかなか喉にはりついた陰毛というのはきもちわるいものだ。

そんなこんだで、マリーを読書のために呼びつけるが、それはいいわけであり、ほんとはマリーと話してみたかったり、マリーとセックスがしてみたかったりと、相手の欲望はさまざまだった。そして最後は『読書しない女』としてさらに仕事(?)をつづけていく・・。

『読書する女』を読み終えて、コンスタンスは私も「読書する女」になろうとおもったりする。

by ssm2438 | 2010-04-01 02:04


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