西澤 晋 の 映画日記

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2010年 04月 09日

パニック・イン・スタジアム(1976) ☆☆☆

f0009381_753219.jpg監督:ラリー・ピアース
脚本:エドワード・ヒューム
撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド
音楽:チャールズ・フォックス

出演:
チャールトン・ヘストン (ピーター・ホリー警部)
ジョン・カサヴェテス (クリス・バトン巡査部長)

        *        *        *

ドキュメンタリー性というのはこういうことなのだろう。

近頃『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』ポール・グリーングラスがやたらと手ブレをつかってドキュメンタリーっぽく見せているが、あれがどうにも好かない。で、なんでだろうと考えたら、あれってドキュメンタリー的に撮ってないくせに、小細工のハンディカメラの手ぶれ画面でドキュメンタリー性をだそうとしてるからなんだろうなって思った。
しかし、この『パニック・イン・スタジアム』からはドキュメンタリー性というのを感じることが出来るのだ。その違いなんだろう・・って思ってしばし考えて。で、はたと思いついた。
ドキュメンタリーというのは、自分の思い通りにならない状況でなんとか取った画面を編集してひとつのフィルムにまとめるけど、普通の映画というのは、撮りたい映像を撮ってそれを一本のフィルムにまとめる。ポール・グリーングラスの映画にドキュメンタリー性を感じないのは、その撮れる画面を撮って、それを手ぶれとうでごまかしているからうそ臭くて、腹立たしいのだ。しかし、このラリー・ピアースの『パニック・イン・スタジアム』では、撮れそうにない画面はあえてとらず、撮れてしまったと思われるような画面で構成されているような気がした。それがドキュメンタリー性をさりげなくかもしだしているのかなって思った。

また、ドラマの構成上も、犯人側の視点からは描かれず、スナイパーの素性やパーソナリティが全くあかされないまま、物語は進行し、明かされないまま終わってしまう。むしろあたかも自然災害が発生させるひとつの起点としてパニック映画の構成をとっている。前半においては犯人の姿が画面上に映し出されることは一度もなく、後半に入ってからも、犯人の目だけは映し出されますが、チャールトン・ヘストン演ずる警察長官に射殺されるラストの血まみれの姿及びフットボール中継用のテレビカメラにより捉えられた映像上以外には、犯人の姿が画面上に現れることはないのでした。

物語は、実際に起きたテキサスタワー乱射事件のシチュエーションを、アメリカン・フットボールの試合会場に移植し、グランドホテル形式でつくられている。
グランドホテル形式というのは、の乱射事件でたまたま撃たれてしまう人や、その後のパニック状態のなかでもみくちゃにされる家族や恋人たちのドラマをさりげなく描いて、見るものが観客の誰かに感情移入しやすいようにエピソードを点在させているという意味。

テキサスタワー乱射事件というのは、1966年8月1日正午、元海兵隊員で、テキサス大学の大学院生であるチャールズ・ホイットマンがテキサス大学オースティン校本館時計塔にM1カービン銃、レミントンM700狙撃ライフル等の銃器、立て籠もりのための食料等を持ち込み、受付嬢や見学者を殺害した後に同時計塔展望台に立て籠もり、眼下の人を次々に撃ち始めた。
事件の一報を受けた地元の警官隊が出動するも、90mもの高さを利用した射撃に歯が立たず、警官が地下水道からタワーに侵入してチャールズを射殺するまでの96分の間に警官や一般市民など15名の犠牲者(犯人を含まず。当時腎臓を撃たれて重い障害が残り、後に死亡した1名と、被害者の1人の胎内にいた胎児を含めて16名ないし17名とする場合もある)、31名の負傷者を出す等、1999年4月20日にコロンバイン高校銃乱射事件が起きるまで最悪の学校銃乱射事件となった(ウィキペディアより抜粋)。

この映画の犯人が使用した銃は・・・識別できなかったが、弾の破壊力の描写はけっこうきちんと描けていると思った。チャールズ・ホイットマンが使ったのはM1カービンやレミントンM700だが、これらは45口径(7.62ミリNATO弾)で、口径はかなりでかい。最近の映画ではバレットM82が使われることが多くなっているが、こちらは50口径弾なのでさらに破壊力は大きく、大口径の狙撃銃での狙撃のシーンはなかなか迫力がある描写になっている。いまでこそそうなってきたが、この時代に、きちんと7.62ミリ弾での狙撃の描写をしているという意味では関心さられた。

by ssm2438 | 2010-04-09 07:53


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