西澤 晋 の 映画日記

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2010年 05月 15日

地震列島(1980) ☆

f0009381_2335864.jpg監督:大森健次郎
脚本:新藤兼人
撮影:西垣六郎
音楽:津島利章
特技監督:中野昭慶

出演:
勝野洋 (地球物理学者・川津陽一)
永島敏行 (ルポライター・橋詰雅之)
多岐川裕美 (川津地震研究所員・芦田富子)
松尾嘉代 (川津裕子)

        *        *        *

もしこの映画に<地震>というコンセプトがなかったら結構面白いドラマになっていたかもしれない。

この映画の問題点は、大地震が来て、そのあとのイベントがまるで関連性が寸断されてしまったことだ、その場その場の人情劇になってしまい、複雑にからみあっていた問題点が、地震がくることによって考えなくてもいい問題になってしまった。問題提示をしたにもかかわらず、その問題への回答を放棄し、別の問題に知りかえられたようなものだ。だったら「前の問題」はなくてもいいんじゃない?って思う。でも、後ろの問題のほうがつまらないので、これなら「後ろの問題」はなくてもいいんじゃない?ってことになる。その「後ろの問題」とは、地震以降のサバイバルである。
監督の大森健次郎はこれが最後の映画監督の仕事だったみたいですが、ま、才能ない人は去るべきですね。なんでこんなコンセプトで映画をつくったのは理解できない。また新藤兼人が脚本を書いているのだけど、これも完全に人選ミス。二人して映画をとんちんかんな方向にみちびいてしまった。

この手の映画は危機管理ものだとおもって見るものだけど、この映画にかんしてはさにあらず。不倫ドラマを関東大震災を背景にしてやっただけ。で主人公のテキサス・勝野洋も、やってることは『ポセイドンアドベンチャー』ジーン・ハックマン。最後は自己犠牲の自爆で水没した地下鉄の壁を爆破し水を抜き、被害者を助けるというもの。
しかし、ドラマのはじめでは、勝野洋の心は多岐川裕美に向かっており、ドラマのセオリーとしてはそこに向かうことで映画が完結することを誰もが期待するような展開だったにもかかわらず、彼の行いはそこにとじこめられた人を救うというもの。心の欲求に反して、理性がそうさせることをやってしまったためにドラマ自体がしらけまくる。これが、多岐川裕美のもとにどうしても行きたいと念じ、そのために閉じ込められた人たちと一緒に絶対そこから脱出するんだぞ!という強い意志力の話にすればこの物語はまだなんとかなっていたのに、それもできていない・・。

この映画を、表面的な道徳正義感話にしてしまい・・、理性のきいた危機管理物に出来なかった監督と脚本の才能のなさはひどい。新藤兼人にしてもこの映画じゃなかったら才能は発揮できただろうが、この映画をそんな方向性で描くというのは、きちんとした危機管理の人間のあり方を想像できなかったということ以外のなにものでもない。
勝野洋の不倫相手・多岐川裕美と、勝野洋の地下鉄での頑張りは完全に関連性がなく、物語の構成もひどい。ドラマ的になにも当初の問題点はなにも達成されることがなく(途中ですりかえられた問題点は解決されたが)、かなり消化不良のただただひどい脚本。だったらせめて多岐川裕美だけでもきれいにとってほしいのだが、ビジュアル的にはやたらとよごしまくり、ドラマ的にも煮え切らない不倫相手という立場で美しくない。

<あらすじ>
地震学者の川津陽一(勝野洋)は、近い将来、大地震が東京を襲うと直感する。陽一は観測データの異常性を訴えるが、学者たちは消極的で、防火対策は政府の仕事で、学者の職域ではないと取り合わない。そんな陽一の心を癒してくれるのは、研究所の所員、芦田富子(多岐川裕美)だけだった。
陽一は地震の権威、故川津宗近の娘、裕子(松尾嘉代)と結婚していたが、二人の間はすでに冷えていた。ある夜、陽一は別れを告げる富子に、逆に結婚を申し込む。熱いキスを交す二人。数日後、渋谷の料亭で陽一と裕子の離婚の話し合いが行なわれることになった。地下鉄で料亭に向かう陽一と裕子。部屋で仕度する富子。そこへ、震度七の地震が襲ってきた。陽一と裕子ののった地下鉄は脱線、地下水があふれてくる。一方富子のマンションは崩壊し、部屋に閉じ込められてしまう。富子を助けたのは、かねてから彼女のことを思い続けていた橋詰雅之(永島敏行)だった。一方水かさの上昇する地下鉄に閉じ込められた乗客たちは、陽一の自己犠牲により脱出することが出来た。

by ssm2438 | 2010-05-15 02:34


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