西澤 晋 の 映画日記

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2010年 06月 01日

沈黙の要塞(1994) ☆☆

f0009381_23411144.jpg監督:スティーヴン・セィーガル
脚本:エド・ホロウィッツ/ロビン・U・ルシン
撮影:リック・ウェイト
音楽:ベイジル・ポールドゥリス

出演:
スティーヴン・セィーガル (フォレスト・タフト)
マイケル・ケイン (マイケル・ジェニングス会社社長)

       *        *        *

見せ方は心得ているも、お子様向けの教育映画に成り下がってしまった。

総てがお子様向け。よく言えばわかり易い、悪く言えば単純。悪役演じるマイケル・ケインにまるで倫理がないので、その悪行に説得力がなく、おかげでドラマの作りとしてはきわめて浅い。おまけに、あたかも大地にい選ばれた子のようにセィーガルをもっていくつくりはお子様むけでかなりステレオタイプ。演出も小手先のかっこつけすぎ演出。もうすこし演出してないように演出するすべを覚えてたら少しは大人のみる映画になるのになあ・・。多分セィーガルもののなかでは一番子供じみているのではないだろうか。かなり知能指数の低い映画である。おまけに音楽のセンスはすこぶる良くない。

しかし、この映画がどうもいけ好かないのはもっと根本的に問題がある。つまり、カタルシスへの冒涜なのだ。これはその昔ホンダがF1に参戦していたころ、伝統の白を基調にしたカラーリングではなくアースカラーを基調にした塗装を施したことがある。あのときに「けっ!」と思った感情と似ている。
F1にはある種のカタルシスがある。たとえガソリンを燃やして二酸化炭素を放出しても、それで大気を汚そうとも誰よりも速く走りたいというその本能的願望を追及している。ゆえに燃えるものがあるのである。それはタバコやアルコールも同じことだ。理性ではタバコが害があるとわかっていても、その一服が至福の安らぎとあたえてくれる(・・らしい。私は吸わないけど)。アルコールだって、それが肝臓に負担をかけるとわかっていても、日ごろのストレスなどを忘却するにはしばし溺れてみたいものだ。
セィーガルの映画だってそうである。たとえ人を殺すのが悪いことだと理性では判っていても、悪党が無慈悲にばったばったと倒させるところを見るとスカッとする。それがセィーガルの映画のカタルシスなのだ。
・・・・にもかかわらず、この映画ではその理性の部分を擁護しやがった。その姿勢がどうにもいけ好かないのだ。日ごろセィーガル自身が携わってる自分が制作している映画の小手先の自己弁護をしているようで、その姑息を感じしまった。気持ちはわかるが、理性的な人からは非難されようとも、セィーガルはセィーガルの映画を製作し続けてほしいものである。

・・・しかし、そうはいっても、部分部分の見せ方はなかなか心得ているなと思わせるカットはおおいにある。

<あらすじ>
アラスカ、イヌイット湾。完成すれば世界最大となるエイジス1と呼ばれる強大な製油採掘&精製工場。その建設工事を急ぐエイジス石油会社には理由があった。ある期日までに石油の採掘が出来なければその土地の使用権はアラスカ原住民の手にもどってしまうのだ。強行にエイジス1の完成をめざす社長のジェニングス(マイケル・ケイン)だが、安全基準テストで不合格のパーツを使用を黙認していた。
そのパーツが原因で採掘所が炎上、石油炎上事故消火の専門家フォレスト・タフト(スティーヴン・セィーガル)の働きにより被害は未然にくい止められたが、彼は事故の真相を調べるうちに不審を感じる。しかしその不良品の事実を告発したフォレストの同僚パーマー(リチャード・ハミルトン)は惨殺され、フォレストも命を狙われ重傷を負った。
イヌイット族の娘マース(ジョアン・チェン)親子に助けられるたフォレストは、稼動すると大惨事を招きかねないエイジス1を爆破するしかないと判断、これをマースと共に実行していく。

by ssm2438 | 2010-06-01 17:44


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