西澤 晋 の 映画日記

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2010年 06月 19日

薔薇の名前(1986) ☆☆☆

f0009381_9163679.jpg監督:ジャン=ジャック・アノー
脚本:ジェラール・ブラッシュ
    ハワード・フランクリン
    アンドリュー・バーキン
    アラン・ゴダール
撮影:トニーノ・デリ・コリ
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:
ショーン・コネリー (バスカヴィルのウィリアム)
クリスチャン・スレイター (見習修道士のアドソ)

       *        *        *

高尚なタイトルはついているが、実は普通の推理小説。世界観の構築だけはきちんとされているのだが・・・。

堅実に映画とつくるジャン=ジャック・アノーなので、物語の背景になった中世イタリアの修道院の描き方はとってもきちんとしている。といっても私がそれをしっているわけではないので、観客をそのムードにさせる手腕がきちんとしている・・ということだけど。
そんな特異な状況の中で人が死に、そこを訪れたイギリスの修道士ショーン・コネリーがその謎をといていくといういもの。謎と、宗教を背景としたしがらみがショーン・コネリーの詮索の抵抗勢力になるのだが、そういった世界観描写はスッごく出来ている映画だと思う。死んだ僧侶が読んでいたという禁断の書の存在。そして禁じているがゆえに見てみたいその中身。謎解きという観客の興味を命綱に、世界観描写で最後まで持っていく構成は機能しているし、僧院の僧のメイクはかなり不気味。目も怖い(苦笑)。そんななかで展開されるアガサ・クリスティーの推理小説をその時代に移植したミステリー。
しかしミステリー、謎を解かれてしまうとなんだかそれだけで終わってしまう悲しい定め。当時の映画雑誌等では、ランキングの上位に推挙された映画で、私も劇場に足を運んだのだが、それほど面白いとは思わなかった。今でいうなら謎解きロールプレイングゲームの映画みたな雰囲気だったかな。
ただジャン=ジャック・アノーという監督さんは、物語の背景になる世界観を地道にきちんと構築して撮るひとなんだな・・という玄人的な技術力には感銘をうけた。

あと不思議なのが登場人物のみなさんが英語をしゃべっている。舞台はイタリアだし、監督はフランス人だし、製作国はフランス/イタリア/西ドイツの共同制作、なのになんで英語なんでしょう? その違和感が最初からついてまわったかな。ま、これは言わないことにしてみないといけないのだろうけど、イタリア語でなんでわるかったのだろう? これはのちに『スターリングラード』で、ロシア兵の話なのにみんな英語をしゃべっている不思議さに通じていく。ジャン=ジャック・アノーをフォローしているのがアメリカの企業ってことなのだろうか・・・。

<あらすじ>
1327年、北イタリア。ある修道院で若い修道士が不審な死を遂げる。そしてそこを訪れたイギリス人の修道僧ウィリアム(ショーン・コネリー)と見習修道士のアドソ(クリスチャン・スレーター)が、部外者であるがゆえに、その調査を依頼される。
死んだ僧は、文書館でさし絵師として働いていたという。ウィリアムが調査を進めてゆく途中、第2の殺人が起きる。ギリシャ語の翻訳を手がけていた修道士の死体が発見され、彼の指には黒いしみが残されていた。この事件は、立ち入り禁止の文書庫と何らかの関係をもっているようだ。やがてウィリアムらは、文書庫に通じる秘密の通路を発見する。

院内では司書のマラキーア(フォルカー・プレシュテル)の監督の下、修道士たちによって、本や原稿が書き写され増刷されていた。そのなかには下世話な話や、エロ話などもあり、院内で硬く禁じられいた戒律「いかがわしい話、ばかばかしいおしゃべりはいけない。むやみに笑ってはいけない」・・から、人間の下世話な心を解放する禁断の場所でもあった。しかしそのインクには毒性のあるものが使われており、かくれて本を読みすすめる者は、ときおり指を舌でぬらしてページをめくっていた。知らず知らずのうちに彼らは毒性のインクを摂取していたことになっていたのだった。そしてそれを隠さねばならない修道院サイドの都合・・。そんななかで、何人かが事故死し、何人かは殺されたのだった。

by ssm2438 | 2010-06-19 09:16


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