西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2010年 07月 18日

死刑執行人もまた死す(1943) ☆☆☆

f0009381_1235164.jpg監督:フリッツ・ラング
脚本:ベルトルト・ブレヒト
    フリッツ・ラング
    ジョン・ウェクスリー
撮影:ジェームズ・ウォン・ハウ
音楽:ハンス・アイスラー

出演:
アンナ・リー (マーシャ)
ブライアン・ドンレヴィ (スヴォボダ)
ウォルター・ブレナン (マーシャの父)

       *        *        *

うむむむ・・・確かにシナリオのこねくり方が上手い! が・・・。

大昔の映画修行時代にみた映画だが、最近になって今一度見直してみた。実に解釈にこまる映画である。
1946年のヴェネチア国際映画祭特別賞を受賞しているこの映画、制作されたのは戦時中のアメリカであり、監督はオーストリア出身のフリッツ・ラング、脚本のベルトルト・ブレヒトはドイツからの亡命者で共産主義者だった。時代が時代だけに反ナチのプロパガンダ映画である。特に前半の展開は、何を持って「よし!」とするかという自分なりの価値観が確立できないまま進んでいくので、重苦しい展開だけが感性を刺激してくる。

舞台はナチス占領下のプラハ。「ハングマン(死刑執行人)」と呼ばれ市民に恐れられていたラインハルト・ハイドリッヒ保護領副総督が暗殺される。秘密警察ゲシュタポは、チェコ市民400人を人質にとり、暗殺者が名乗り出るまで1日数人を銃殺していくという報復にでる。
暗殺の会った日の夜、挙動不審の男をかくまうことになってしまったマーシャ・ノヴォトニー(アンナ・リー)の父(ウォルター・ブレナン)も人質にとられていた。マーシャはその男スヴォボダ(ブライアン・ドンレヴィ)に自首を懇願する。スヴォボダも自分が自首しようとするが、抵抗運動の組織はそれを許さない。
一方人質にとられれ、死を待つだけの人々の間でも意見は分かれる。犯人は自首するべきだと言う人もいる。しかし、マーシャの父、ステファン・ノヴォトニーは、「犯人が自首してもナチは我々を殺し続ける」という。名前を呼ばれ、潔く連れて行かれるチェコ人たち。そんな彼らを合唱で送り出す残された囚人たち。

全体主義のために個人を犠牲にすることを高らかにうたい上げる映画のスピリットに、勇ましさというよりも、なにかしらの目に見えない恐怖みたいなものを感じた。この脚本を書いたブレヒトは共産主義者であり、最初の脚本ではその精神が色濃くでていたらしい。フリッツ・ラングがそれを弱めることを望み、ウェクスリーが問題部分のカットと潤色を施したという。ちなみにウェクスリーも共産主義者であった。
この映画は、アメリカで制作された反ナチ映画ではあるが、精神構造的には<非道なナチ>vs<美しき全体主義=共産主義>の色合いが強いと思う。そのあたりが私の感性にストップをかけて、手放しでこの映画を賞賛できないにおいを感じさせているのだと思う。

物語は後半からがらりと変わる。多分このあたりからフリッツ・ラングが変更を加えていき、重苦しくないサスペンスにしてしまったのだろうと勝手に推測する。

チェコの抵抗組織は、その中の一人チャカ(ジーン・ロックハート)というチェコ人男性がゲシュタポのイヌであることを知る。そして彼を犯人に仕立て上げていく。そこにはお互い顔もしらないチェコの市民が一つの目的のために嘘をついていく。ゲシュタポのイヌだったチャカはゲシュタポに殺され、チェコ人たちの抵抗運動は高らかに賞賛されるのであった・・・。

by ssm2438 | 2010-07-18 12:36


<< ヒマラヤ杉に降る雪(1999)...      狼は天使の匂い(1972) ☆☆ >>