西澤 晋 の 映画日記

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2010年 08月 06日

ジュラシック・パークⅡ/ロスト・ワールド(1997) ☆☆

f0009381_123364.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:マイケル・クライトン
脚本:デヴィッド・コープ
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
ジェフ・ゴールドブラム (イアン・マルコム博士)
ジュリアン・ムーア (サラ・ハーディング博士)

       *        *        *

がっぱあああああ、がああああああっぱああああああああ

一作目の『ジュラシック・パーク』は、実に恐竜が動くさまを如実に提示してくれた。それまでの恐竜というのは日本の特撮だとキぐるみだし、海外の特撮だとトカゲの拡大だったり、人形アニメだったりしたのだが、「この恐竜は実に本物だ!」ってイメージをプレゼントされた。あの感動は非凡なものではなかったのだが、さすがに2作目ともなると・・・、それは出来て当たり前、で、何が新しくなったのかな??という部分が問題になってくる。そういうわけで、提示されたのが、ゴジラよろしく、文明世界に恐竜を登場させよう!というもの。妥当なコンセプトではあったが、『大巨獣ガッパ』『キングコング』『GODGILLA』などとほとんど同じコンセプトなので新鮮さという意味では乏しかったのがちと残念。
個人的には島でのエピソードをもちっとつまんで、都会での恐竜と人間社会の摂政を膨らませてほしかったなあ。じゃあ、なにか新鮮味を・・といわれると・・・・うむむむ、確かに思いつかないなあ(苦笑)。

そのそも何が問題だったのだろう??ってちと思考してみる。
文明社会に異物(=この場合は恐竜)を登場させるハプニング性というのはエンタテイメントな映画では王道だ。これがハズレなわけがない。ただ、この映画に関して言えば、あまり成功しているとも思えない。それはやっぱり、既存の映画がこのコンセプトでやりすぎているというのも一つの原因だけど、最大の原因は、都会の「恐竜は弱い」ということなのだと思う。人間が本気になればTレックスだって戦車の砲撃一発で仕留められるだろう。恐竜の島で恐竜が魅力的なのは、人間が仕留められない強大な力として存在していたからだろう。それが、人間の世界にきてみると、人間がその存在に注意をはらってないときに暴れれば怖いかもしれないが、しばらくすると当然のごとく立場は逆転される。食べるものはないわけではないが、少なくとも異なった環境から来るストレスでだんだん衰弱していきそうだし、あっちこっちぶちあたってると怪我も出血もする。もしかしたらエイズだって移ってしまうかもしれない。都会の共有はもはや怖いというよりも、いかに保護するかというその対象になってしまったわけだ。
そのへんがこの映画の最大の問題だったのだろうな・・。

<あらすじ>
あれから4年。閉鎖され、放置された島では人知れず恐竜たちが生き延びて繁殖していた。前回登場した数学者のイアン・マルコム(ジェフ・ゴールドブラム)は、インジェン社の会長ハモンドに呼び出され島の調査を依頼された。
彼の恋人で古生物学者のサラ(ジュリアン・ムーア)ら5人のメンバーで島に降り立ったが、突如ヘリコプターの大部隊が島に飛来し、次々と車や機材を降ろし始めた。インジェン社の会長ハモンドの甥ルドローが、ジュラシック・パークの再生をもくろんでいたのだ。
ルドロー一行はティラノサウルスを捕獲して貨物船に積み込むと連れ去ってしまう。だが、輸送途中で麻酔の切れたティラノサウルスは、サンディエゴに上陸するや大暴れ。イアンとサラは郊外のジュラシック・パークに保護されている恐竜の赤ん坊を連れ出し、親を貨物船におびき寄せる。無事、船に閉じ込めることに成功するが、ルドローは食われてしまった。ティラノサウルスは島に送り返され、島は人間の手が触れないよう保護されることになった。

by ssm2438 | 2010-08-06 01:03 | S・スピルバーグ(1946)


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