西澤 晋 の 映画日記

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2010年 08月 08日

かくも長き不在(1960) ☆☆☆☆

かくも長き不在(1960) ☆☆☆☆_f0009381_1134460.jpg監督:アンリ・コルピ
脚本:マルグリット・デュラス
撮影:マルセル・ウェイス
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:
アリダ・ヴァリ (テレーズ)
ジョルジュ・ウィルソン (浮浪者)

       *        *        *

女の恋愛は「好き」と相手に言わせるもの。

その昔、男の恋愛は「好き」というべきものだが、女の恋愛は「好き」と相手に言わせるものだ・・ということをきいたことがある。この映画はその、「好き」といわせようとしてなかなか言ってくれない、いらだたしさと、それでも待ち続けてしまう期待の間でゆれる女心の根源的な安心と不安を繊細に描き出している。
マストシーの名作のうちに入っているが、男性がみて面白いかというとこの点はちと乏しい。

1961年のカンヌでパルムドール賞を受賞。日本で公開された64年のキネマ旬報ベストテン1位の作品。原作・脚本はマルグリット・デュラス『愛人/ラマン』『二十四時間の情事』の原作者である。

お話は、戦中に行方不明になった夫に似た浮浪者として主人公の前に現れる。しかし彼は記憶を失っている。女は彼を夫だと信じ、そう期待する。浮浪者の男は、自分にやさしくしてくれる彼女には親しみを感じるが、記憶はもどらない。本当に自分がその女の夫だったのか、どうかわからないのである。
ここで男の選択肢は二つある。一つは、その環境が気持ちいいので、彼女の夫だったということでこれからの人生を歩んでいく。しかしそれは自分自身を譲り渡してしまう行為でもある。もうひとつは、戻らない記憶=現在の自分を優先させて、自分が認識していないものには自分の人生をゆだねない。
女の期待は増大していく。それにしたがって男のわけのわからない不安も増大してくる。今の自分を放棄していいものなのか、どうなのか・・・。
ドラマはこの二つの選択肢の間でゆれる男の心情と、ひたすら可能性に期待する女の心情をきめ細かく描いている。最後は期待されすぎて、こわくなり逃げ出してしまう男・・・。

<あらすじ>
テレーズ(アリダ・ヴァリ)は、戦時中に夫のアルベールをゲシュタポに連行されて以来、一人身でカフェレストランを切り盛りしていた。それから16年がたったある日のこと、その夫に良く似た浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)が自分の店のまえを横切るのを見た。それからというもの、テレーズは、その男が再び通りを現れるのをまった。そしてそのときが来た。
男は記憶を喪失だった。彼女は男の後をどこまでも尾けて行った。セーヌの河岸のささやかな小屋に彼ははいっていった。彼女はもしやという気持が、既に確信に変っていった。アルベールの叔母と甥を故郷から呼び、記憶を呼び戻すような環境を作って彼を自分のレストランに招待するが、彼の表情に変化は認められなかった。叔母は否定的だったが、彼女は信じて疑わなくなった。ある夜、男を招いて二人だけの晩餐、そしてダンス。テレーズの抑えられない期待があふれてくる。しかしその彼の記憶はもどらない。背を向けて立ち去ろうとする男に、思わず「アルベール!」と声をかけてしまう。聞えぬげに歩み去る男。近所の人たちも、口々に呼びかけた。「アルベール」「アルベール」「アルベール」。男は脱兎の如く逃げ出した。その行く手にトラックが立ちふさがった。あっという間の出来事であった。彼は消え去っていた(トラックに轢かれたわけではないのようだ・・)。

by ssm2438 | 2010-08-08 11:34


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