西澤 晋 の 映画日記

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2010年 08月 24日

カメレオンマン(1983) ☆☆☆☆

f0009381_11255689.jpg監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:ゴードン・ウィリス

出演:ウディ・アレン (ゼリッグ)

       *        *        *

あいかわらずゴードン・ウィリスとウディ・アレンの二人の映像センスのマッチングはすばらしい。

この二人が作った映画の画面の完成度は図抜けている。この映画はコメディなのだが、一生懸命細部にこだわり、緻密にコメディをしているので実に味わい深い。映画自体のおもしろさというよりも、作りこみの楽しさを堪能する映画だと思う。

ウディ・アレンはドキュメンタリー的な手法(「モキュメンタリー」とか、「フェイクムービー」と呼ばれる)で映画をつくることがよくあるが、そのなかで最も効果的に成功しているのがこの『カメレオンマン』だろう。「カメレオンマン」というのは、周囲の環境に順応し姿かたちが変わってしまう特異体質の男ゼリッグのことであり、この映画は擬似ドキュメンタリー形式で彼の生涯を描いている。そのゼリッグの基本はとにかく劣等感。ひたすら気の弱い彼は身の安全をはかるために、周囲から決して眼をつけられないような一般凡人になりきってしまうのである。ユダヤ人であるウディアレンしか思いつかないストーリーだろう。

第二次世界大戦においてはナチの迫害にあったユダヤ人。そのころを描いた映画をみると、ユダヤ人であることを捨てて生きなければならなかった彼らがよく描かれている。ユダヤ人として自己を主張すれば殺される。かといって自分の本来のアイデンティティであるユダヤ人としての存在を捨てられるのか・・? そのジレンマのなかで、命の安全のためにはユダヤ人でない振りをするしかなかった彼らたち。そこにはとてつもない悔しさがあったはずだ。ユダヤ人としての誇りがあればあるほど、ユダヤ人でないふりをして生き延びている自分たちの惨めさ。かといって、自分はユダヤ人だと宣言して殺されるわけにも行かない。
そんな彼らのジレンマを突き抜けてしまったところにあるゼリッグという人物。自己防衛本能が総てに優先され、そのために自我が押し殺されてしまった男。
ユダヤ人であるウディ・アレンのきわめて自虐的なコメディである。

<あらすじ>
第二次世界大戦前のアメリカに、ゼリッグ(ウディ・アレン)という変わったユダヤ人がいた。彼は周りの環境に順応し、身体つきも精神も変えてしまうのだ。そんな彼は何処にいても決して目立つことはない。彼がそこにいてもまったく不自然ではないのである。彼はいろんな有名人と一緒にいるところを目撃されていた。ルー・ゲーリックベーブ・ルース、当時の大統領など、本来警備が厳しく一般人は決して近づくことなどできそうにないところに彼は出没しているのである。
彼の調査、及び治療にあたったのはユードラ・フレッチャー医師(ミア・ファロー)。しかしユードラと向かいあうと即座にゼリッグは身も心も精神分析医になりきってしまうのだ。いじめられ子だった彼は、いじめられるのをおそれて呼んでいない『白鯨』を読んだといったときからそのような体質になってしまったという。
いつしか、ユードラはゼリッグに恋するようになるが、ゼリッグの姉の恋人マーテが、ゼリッグの特異性に眼をつけを見せ物にして世界を巡業する。しかしゼリッグが俳優だった時に彼と結婚していたという女優リサ・フォックスが名乗り出て来ると、ゼリッグはマスコミが攻撃する的になる。非難を浴び姿を消すゼリッグ。その後、彼はローマ法皇と一緒のところを目撃された。ヨーロッパに飛んだユードラは、なんとヒットラーの後に何食わぬ顔で存在しているゼリッグの写真を見つけて驚く。
その後、ゼリッグとユードラは帰国し、結婚し幸福な生活をおくったという。

そんな彼の生涯が資料映画として一本の白黒フィルムにまとめられており、ゼリッグについて語る知識人たちのインタビューはカラー映像で撮影されている。

by ssm2438 | 2010-08-24 11:26 | ゴードン・ウィリス(1931)


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