西澤 晋 の 映画日記

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2010年 09月 04日

ドライビング Miss デイジー(1989) ☆☆☆☆

f0009381_11323265.jpg監督:ブルース・ベレスフォード
脚本:アルフレッド・ウーリー
撮影:ピーター・ジェームズ
音楽:ハンス・ジマー

出演:
ジェシカ・タンディ (デイジー・ワサン)
モーガン・フリーマン (ホーク・コバーン)
ダン・エイクロイド (ブーリー・ワサン)

       *        *        *

まるで賢い愛犬のように、決して裏切ることなく、ずっと慕ってくれる使用人って素敵な存在だけど・・・

1989年のアカデミー作品賞・脚色賞・主演女優賞受賞作品である。映画としてはとてもよいと思うのだけど、どうも、今ひとつ好きになれない部分もあり・・、いい映画だとおもうのだけど、とても嫌な部分をふくんでいるという複雑な感じ方をさせてくれる映画(苦笑)。

映画の背景は戦後の南部。黒人やユダヤ人を嫌う気質はつよいところ。ジェシカ・タンディ演じるこの登場人物のデイジー・ワサンもユダヤ人という設定。この映画ではそれほどユダヤ人の排行動は描かれていないが、この映画のデイジーもモーガン・フリーマン演じるホークもこの地域ではあまり好かれてない人種である。
そんな二人の・・・・「友情」ではないな・・・なんだろう、一応「お互いの思いやり」を描いた映画・・というのが正しい表現かもしれない。

この映画は、慕われる側の理想を具現化した映画だといえる。そのへんがちょっとひっかかるところなのかもしれない。ちなみに、先ごろ公開された『トイストーリー3』は慕うものと慕われるものの理想の具現化だったような気がする。この『ドライビング Miss デイジー』のどこかひっかかる部分があるとしたら、それは、慕われる側だけの理想型で描かれているところなのかもしれない。慕われる側は、こんな人に慕ってくれる人がいたらいいなあって思うかもしれないが、慕うがわからみると、これをもって理想型っていえるのか?っていったらあんまりそんな気にはなれない。

オールシネマの解説の方がえらく酷評しておられたが(苦笑)、そのへんがひっかかってしまったのだろう。
ただ、時代背景を考えると、このくらいがやっぱりリアルなのかもしれないな・・とは思う。あくまで使用人と主人との関係のなかで、その範囲にとどまりつつお互いの思いやりをみせる二人の関係は、きっと彼らはそれでいいんだろうな。ただ、見る側からすると、「こら、モーガン・フリーマン、男がそんなんでいいのか!?」って思う。さらなる可能性を見て生きられないのか・・って。そこを自分の限界として生きていいのか?・・って。

<あらすじ>
元教師の老婦人デイジー・ワサン(ジェシカ・タンディ)は歳のせいもありそろそろ車の運転もあぶなっかしくなってきていた。そして隣家の垣根に突っ込んでしまう事故を起こす。それを見かねた息子のブーリー(ダン・エイクロイド)は初老の黒人男性、ホーク・コバーン(モーガン・フリーマン)をおつきの運転手として雇う。
自分が嫌味な成金であると周囲に思われるのを危惧していたデイジーは、ホークを拒否していたが、ホークの柔軟な人柄にほぐされ、彼が運転する車にのるようになる。ホークといることで経験する、黒人に対する人種的偏見や、ホークのさりげない気遣い。そして家政婦が死んでしまうと、万事にそつが無いホークをより一層重宝するようになるデイジー。二人の付き合いが25年にもなろうかという頃、痴呆症が進み、体調も衰えたデイジーは現在老人ホームで暮らしている。デイジーを訪れたホークは出会った頃と同じ軽妙なやりとりを楽しむ。ホークがパンプキンパイをデイジーに食べさせているシーンで映画は幕を閉じる。

そんな話のなかに、南部の黒人差別の実態をすこしづつ挟み込んでいる。
アラバマ州モービルに住む兄弟の90歳の誕生日を祝うため、ホークの運転するキャデラックに乗って遠出することになるデイジーとホーク。道中で路肩に止めた車の中で食事をする二人だが、その際の警官の「ユダヤ人のばあさんと黒人のじいさんか」発言のうらにある人種差別意識。
当初は息子のブーリーと共にキング牧師の説教出席する予定だったが、彼は人種偏見が残る地元の同業者たちに後ろ指を差されることを心配して欠席。夕食会に向かう途中でホークを誘うが、「本当にその気が有るならもっと早く言うべきだった」と<ついで性>の不誠実さを指摘されるデイジー。
こんなエピソードがストーリーをぴりりと引き締めている。

by ssm2438 | 2010-09-04 11:33


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