西澤 晋 の 映画日記

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2010年 09月 14日

レナードの朝(1990) ☆☆☆

f0009381_1012443.jpg監督:ペニー・マーシャル
脚本:スティーヴン・ザイリアン
撮影:ミロスラフ・オンドリチェク
音楽:ランディ・ニューマン

出演:
ロビン・ウィリアムズ (マルコム・セイヤー博士)
ロバート・デ・ニーロ (レナード)
ペネロープ・アン・ミラー (ポーラ)

       *        *        *

『アルジャーノンに花束を』との類似性が気になるのだが・・どうなんでしょうね?

同じエピソードをネタに、ダニエル・キース『アルジャーノンに花束』を書き、オリバー・サックスが、この『レナードの朝』をかいたのでしょうか? それとも、オリバー・サックスがこのこの本ネタを書こうとしたときに、『アルジャーノンに・・・』の展開をある程度意識したのでしょうか・・? 多分後者かな? 
番うように作ろうと思えば作れたのかもしれないが、どうしても『アルジャーノンに・・・』のストーリー展開が面白すぎるので、主人公のメンタリティの流れ自我の確立とか恋愛感情とか・・、そのあたりの展開は『アルジャーノンに・・・』にベースで展開してしまったのだろう。そのへんが、違う作品なれど、『アルジャーノンに反束を』の模造品的立場になってしまっている。
しかしこの映画、専門的知識ベースで書かれているので、物語の説得力はとりあえずあるが、所詮は「実話をもと」にしたフィクションであり、映画作りの方向性としては、『アルジャーノンに花束を』のをパーキンソン症候群べの治療ベースで現代風なリメイクと言ったほうがいいかもしれない。個人的にはあまり『アルジャーノンに・・・』に傾かず、もうすこし医学ベースのリアルなつくりでいってほしかった。
しかしラルフ・ネルソンが作った『まごころを君に』よりははるかに好感がもてるつくりになっている。さすがペニー・マーシャル。彼女は、『ビッグ』や『プリティリーグ』などを手がけたこの女性監督さんであり、私の好きな監督さんの一人である。・・・しかし、この人はかならずダンスをするシーンをいれるね。愛の表現手段としてはセックスよりもダンスのほうが好きなんだなあっていつも感じる。

ちなみに『アルジャーノンに・・・』では、知能遅れの少年に対してある手術をするという、かなりアバウトな設定なのだが、その設定がこの物語の魅力ではなく、そのあとの展開がこの物語の魅力になっている。それにたいしてこちらの『レナードの朝』は嗜眠性脳炎からパーキンソン症候群におちいった患者にL-ドーパを投与し覚醒させたが、耐性により効果が薄れていくとう流れ。

<あらすじ>
1969年、マルコム・セイヤー(ロビン・ウィリアムズ)という風変わりな意思が、ブロンクスの慢性神経病患者専門病院に赴任してくる。その風変わりだが可能性を追求する熱心な態度に看護婦のエレノア(ジュリー・カブナー)も好感をもつようになる。
そこにレナード・ロウ(ロバート・デ・ニーロ)も入院していた。彼は11歳の嗜眠性脳炎にかかり、そのごパーキンソン症候群におちいり、30年もの間彼の体は硬直してうごこうとしない。セイヤーはまだ公式に認められていないパーキンソン氏病患者用のLドーパを使ってレナードの機能回復を試みる。そしてある朝、レナードがベ起き上がりベットの脇にすわっているのを目にする。

※ここから物語りは『アルジャーノンに花束を』モードにシフトする。

30年ぶりに街に出たレナードにとって見るものすべてが驚きだった。レナードの回復をみたセイヤーは、他の患者にも新薬を使うことを申し出て、病院のスタッフの協力によって投薬が始まった。一方、完全に機能を回復したレナードだったが、彼が病院に見舞いにきたポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)に生まれて初めての恋をする。自我が目覚めていくにつれて病院の管理体制に「自分たちは実験用のペットではない」と怒りをもらすようにもなってくる。しかしこのときすでにLドーパの効果は薄れつつあり、体の自由が徐々にきかないようになってくる。再びベットで硬直した人生にもどるしかないレナードはポーラをダンスをおどる。レナードを追うように他の患者たちも再び以前の状態にもどってくのだった。

by ssm2438 | 2010-09-14 10:13 | ペニー・マーシャル(1943)


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