西澤 晋 の 映画日記

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2010年 10月 06日

コンタクト(1997) ☆☆

f0009381_9371189.jpg監督:ロバート・ゼメキス
原作:カール・セーガン
脚本:マイケル・ゴールデンバーグ/ジェームズ・V・ハート
撮影:ドン・バージェス
音楽:アラン・シルヴェストリ

出演:
ジョディ・フォスター (エリー・アロウェイ)
トム・スケリット (デヴィッド・ドラムリン)

       *        *        *

SFモノで宗教肯定したらもうSFじゃないでしょう・・。

世間でどんなに人気があろうと、「この人が出てると見るテンションが下がる」・・っていう役者がいる。話つぃにとってはロバート・デ・ニーロジョディ・フォスター。この映画もジョディ・フォスターが出てるのでちょっとテンション下がりめで見に行ったのだけど・・、ちょっとファンタジーしすぎてたかな・・。もうちょっと真剣なSFもので作ってほしかった。

一応主人公のジョディ・フォスターは無心論者という設定だが、大筋ではそのジョディフォスターが神の存在を感じる・・ってことでお話は閉じられている。もちろん確固としてそれを主張してはいないが、やんわりとそのなかでて描かれているのがよお~~~~~く分かってしまう。おかげで、わたとしてはかなり冷めた。お話のとっかかりはけっこう素敵だったのに、おいしい素材をこんなにもダメにしたかって印象だった。

最近ちょっとまえに話題になったフランク・シェッツリングの『深海のyrr(イール)』なる小説を読み始めた。さんざん地球の海をよごしてきた人類が、深海の知的生命体yrrから攻撃をうけるという話。読み始めは意外とおもしろかったのだけど、中巻にいたるとどんどん凡作化してきた。なぜこれがつまんなくなってきたのだろうと考えた。その答えは「SFというのは非情な設定であるべきだ」と、どうやら私は考えているらしい。そこに描かれる人間はハートフルでよいのだけど、設定事態がどこかに偏っているとそれだけでSF的土台がからずり落ちてしまうような気がする。この小説も「環境保護」って偏りがあるので、SFというよりもSF分野のエンタメという印象がつよく、物語の展開だけをその時間だけ楽しむようなものになっている。
どうも、SFである以上は、「設定の中立性(非情性)の新しい概念」を提示してほしいと思ってしまう。
この『コンタクト』という映画も、「宗教」というものへの偏りがあり、SFとしては楽しめないお話になってしまっている・・。

<あらすじ>
ある日電波天文学者のエリー(ジョディ・フォスター)は、宇宙から地球に向けて電波信号が発せられているのに気づく。ついに地球外生命体の存在が確認された瞬間だった。
信号は単に素数を表しているだけでなく、複数の読み取り方ができることがわかった。さらに世界中の国々が協力して解読を進めるうちに、驚くべき事実が判明。このメッセージには、乗員を宇宙へ運ぶことのできる宇宙間移動装置=ポッドの設計図が含まれていたのだ。ポッドの建造が決定し、ただ1人の乗員の志願が始まった。エリーも志願するが、査問会は科学者ドラムリン(トム・スケリット)を選んだ。
だが、ポッドの運転テストの当日、テロリストが爆弾を爆発させて装置は破壊され、ドラムリンも死ぬ。しかし都合がいいことに、謎の資産家ハデン(ジョン・ハート)という人物画が、同じ装置をもう一基、北海道に建造されていた。エリーはポッドに乗り込み、未知の世界に旅立つ。そしてその先に未知の知的生命体とのコンタクトがあるはずだった。
しかし、たどり着いたその場所はエリーが良く知る地上の風景であり、彼女にコンタクトをとってきたのは、エリーが幼い頃しに分かれた父だった。彼らは、エリーの意識を読みとり、エリーがもっとも親しみをもつ造形を借りたという・・・。

結果としては未知の知的生命体とコンタクトをとっても、彼らが語ったのは「宇宙はひとつ、生命はみな兄弟」みたいなことで、SF的にはまったく意味があることはなく、かなりの拍子抜けになってしまったとさ・・。

by ssm2438 | 2010-10-06 09:37


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