西澤 晋 の 映画日記

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2010年 10月 14日

スター・トレック(1979) ☆☆☆

f0009381_23505723.jpg監督:ロバート・ワイズ
脚本:ハロルド・リヴィングストン
撮影:リチャード・H・クライン
特撮:ダグラス・トランブル/ジョン・ダイクストラ
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:
ウィリアム・シャトナー (ジェームズ・T・カーク船長)
レナード・ニモイ (ミスター・スポック)
デフォレスト・ケリー (ドクター・マッコイ)
パーシス・カンバッタ (アイリーア大尉)

       *        *        *

エンタープライズに登場するまでがないぞ!
さすがロバート・ワイズ!
でも一般庶民には退屈だと思うぞ・・。


『アンドロメダ・・・』では、研究所にはいるまで延々とその段取りつづけたロバート・ワイズ。今回もやってくれました。エンタープライズの乗り込むまでの段取りが長い。一般ピープルがみたら絶対退屈して途中で早送りにすると思うのだけど、そこはそれ、その段取りがとっても重要なロバート・ワイズ。特撮は『2001年宇宙の旅』ダグラス・トランブル。この人は宇宙空間の移動をじわああああああああああああああああっと描く。もう一人有名な特撮監督といえば『スターウォーズ』リチャード・エドランドだが、かれはシュコーーーーーーーンと描く。
じわあああああああああああああああんで撮らないと気がすまないトランブルと、それを当たり前のように受け入れるロバート・ワイズ。いいなあ。玄人にしか受けない乗り込みまでの描写であった。

しかしこれが70年代の映画だった。個性にあふれてて面白かった。作り手本位で作られているのでつまらない映画でもみていて楽しかった。それが80年代は、見せる側と見る側の求めるものが、上手いこと融合され映画作りにおいては黄金時代だったといえるだろう。しかし90年代になり、観客受けする作り方になり、すべての映画が分かりやすくアベレージなつくりになり全然楽しくなくなってしまった。2000年代になるとほとんど壊滅的である。
60年代に放映されていたテレビシリーズなのだが、私も小学生のころときどき見ていた。めちゃくちゃイも白いわけでもないが、当時はこの『スター・トレック/宇宙大作戦』とか『原子力潜水艦シービュー号』とか『巨人の惑星』とか、洋物のテレビシリーズを観ていた。
それから10年。さすがにトレッキーではないが、やっぱりエンタープライズ号をみるとなつかしい。冒頭のエンタープライズ号の出るまでのじらしも、私にしてみればとっても気持ちよかった。

物語の基本は『理性』と『感情』の相克であり、登場する二人の主人公カーク船長は人情派で、Mr.スポックは理性派である。この二人があるときは対立し、あるときは協調し、エンタープライズ号に降りかかる危機を乗り越えていくドラマである。
本作もその基本のテーマは受け継がれている。

<あらすじ>
突然地球に進路をむけてやってくる謎のエイリアンの母船。彼等は神をさがしているという。機械生命体である彼等は地球にその創造主がいると信じ、その創造主と再び再会することで、彼等の中にある空虚さ(感情をもたないこと)を満たしてほしいと考えているのだ。しかしどんなにメッセージを地球に送っても返事は来ない。エイリアンはその原因が地球に存在している炭素ユニット(人間などの生物)であり、彼等がエイリアンとその創造主との接触を阻んでいると考え、駆除にとりかかる。
再びエンタープライズ号の船長として就任したカーク(ウィリアム・シャトナー)とスポック(レナード・ニモイ)はエイリアンとの接触を試みる。
エイリアンはエンタープライズ号のクルーの一人、美しいデルタ星人のアイリーア中尉(パーシス・カンバータ)を捕獲した。やがて彼女にそっくりのコピーが送られてくる。彼女の口を通してエイリアンは自らを「ヴィージャー」と名乗った。
エイリアンの強大な宇宙船に侵入したカークらは、その中心部でヴィージャーのコアをみる。それは300年まえNASAが宇宙に送り出したヴォイジャー6号だった。ヴォイジャー6号は長いたびの間に宇宙に浮遊する鉄くずらを吸着し、徐々に人格をもち、機会生命体として戻ってきたのだ。

ヴィージャーにさらわれ、コピーとしてもどってくるアイリーア大佐(パーシス・カンバータ)のビジュアルが素敵だ。(左から3番目)
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by ssm2438 | 2010-10-14 20:18


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