西澤 晋 の 映画日記

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2010年 10月 28日

さすらい(1957) ☆☆☆☆☆

f0009381_924193.jpg監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本:エンニオ・デ・コンチーニ
    エリオ・バルトリーニ
    ミケランジェロ・アントニオーニ
撮影:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽:ジョヴァンニ・フスコ

出演:
スティーヴ・コクラン (アルド)
アリダ・ヴァリ (イルマ)
ベッツィ・ブレア (昔の女・エルヴィア)
ドリアン・グレイ (ガソリンスタンドの女・ヴィルジニア)
リン・ショウ (娼婦・アンドレイーナ)

       *        *        *

お父さん、お父さん、ロジーナのパンツがみえてまっせ!!

この映画は、リアルなメンタリティを描く映画ではなく、男のメンタリティとはこういうものだというメンタル・システムを具現化した話。いやあああああああああ、実にアントニオーニだった。この人は男のメンタリティ正直に描きすぎる。後の作品群をみると女もだけど。実に正直な映画監督だなあと思う。

戦後のイタリアには、名匠とよばれる監督さんがやらたと多かった。ロベルト・ロッセリーニヴィットリオ・デ・シーカフェデリコ・フェリーニルキノ・ヴィスコンティピエトロ・ジェルミ、そしてミケランジェロ・アントニオーニ。その中でも一番好きなのはこのミケランジェロ・アントニオーニだ。この人の映像センスと、描く題材は実に衝撃的で、メンタリティは男女の心理を描き出しし、映像は心象風景的な・・、どこかミステリアスな雰囲気をかもしだしてくれる。60年代のアントニオーニは傑作ぞろいだと思う。
残念ながら70年代からはイタリア映画全体がはかなりへたってくる。下世話な映画ばかりになり、エッチとエログロ、残虐性が前面にでてきてあまり関しない時代がしばらく続くことになる。アントニオーニの映画ですら、なぜか60年代の彼の作品ほどときめくものはない。

ミケランジェロ・アントニオーニは、男の愛し方、女の恋愛を正直に描く。この映画では男のメンタリティを暴露してくれた。
男というのは、本来一人の女しか愛さないように出来ている。常に心の中に理想の女をもち、「もしかしたらこの人は自分の<心の故郷の女>なのかもしれない」という夢を描き、それを相手の女性に投影しながら恋愛をする。期待するのである。「この女こそ、きっと自分の<心の故郷の女>なのだ」と。
しかし現実にはそんな都合のいい女などいない。どこかが違っている。「やはり違った。これは私がもとめている女性ではない」と認識する時が来る。そのとき恋愛というのは終わる。男の恋愛というのは、現実をゆがめて解釈し、無理やりそうではないものをそうだと思い込もうとしている時間。

この映画はそんな男の恋愛メンタリティを具体的な形として再現している。ただ、映画的にしかなく<心の故郷の女>と具体的な女として登場させるしかないので、イルマという女をその位置にすえてある。それをもってその男の<心の故郷の女>にするのはちと違和感を感じるが、まあ、映画構成上しかたがないことなのだろう。


<心の故郷の女>=イルマに見捨てられた男アルド(スティーヴ・コクラン)は娘と一緒に故郷をはなれた。昔自分を愛してくれた女のところによってみる。彼女は今も自分を愛してくれている。そこに居つけば心がやすらぐのに・・と思うのだが、イルマが荷物を届けてくれたことからやはりイルマの存在を再認識してしまう。

車の荷台に乗せてもらってたどり着いた先のガソリン・スタンド。一夜の宿を借りるつもりだったが、そのスタンドを切り盛りする若い精力的な女ヴィルジニア(ドリアン・グレイ)に惹かれてく。彼女は老父暮らしていたが、なにかと迷惑をおこすので施設にいれてしまう。一緒に旅をしていた娘のロジーナもイルマのところに返して、二人だけの生活になるはずだった。しかし、どこかでそれは頭をもたげてくる。「この女はイルマではない」。

再び放浪生活がはじまった。やがてベネズエラでリッチになってもどってきたとう成金男の船整備する仕事をもらう。彼は河岸の小屋で使用人たちと話していたが、アンドレイーナ(リン・ショウ)という娼婦らいし女を呼びつけ出て行った。彼女はは肺病をわずらっていたが、は無邪気で可愛かった。アルドにもなつき、彼と一緒に泥沼のような生活から浮び上ろうとした。しかし・・・「この女はイルマではない」。

アルドの足は本能的に自分の村へ向った。村では飛行場が建設されようとしておい、変化が押し寄せてきている予感があった。娘のロジーナを見つけ、彼女が入っていく家を覗き見た。イルマがいた。赤ん坊に湯を使わせていた。イルマは明らかに自分の女ではないことを理解するしかなかった。<故郷の女>を失ったアルドにとって、もうこの世に意味はなかった。


しかしなあ・・、<故郷の女>がアリダ・ヴァリってとこにちょっとしんどさを感じる。一応イタリアの名女優なのかもしれないが、どうみても、他の3人より美しくない(苦笑)。もうちょっと・・・ほんとに固執するにあたいするビジュアルをもった人はいなかったのだろうか・・。ちと残念。

by ssm2438 | 2010-10-28 09:04 | M・アントニオーニ(1912)


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